横井捷子さん(43双)
梶栗玄太郎さんが、当時「下北沢」(東京都世田谷区)にあった教会本部に通って来るようになった1963年頃の青年時代の話です。梶栗さんは、小豆色のような不思議な色のスーツをいつも着ていて、とにかくスッキリした顔立ちの男性だったのをよく覚えています。
ある朝、東京・八王子から電話がかかってきました。電話は梶栗さんの「霊の親」である前川浩子さんからで、梶栗さんと2人で一晩中歩いて、下北沢から八王子まで行ってしまったというのです。
梶栗さんは教会で「復帰原理」の講義を聴く中で、様々な霊的な体験をされていました。例えば、「ノアの洪水」の部分では、洪水が押し寄せて来る中に自分が巻き込まれていくような場面に遭遇したのです。
そのようにして原理講義をひととおり聴き終わり、梶栗さんが前川さんと2人で教会の外に出たところ、街の中は昼間なのに暗く、全くの灰色でゴーストタウンのように見えたそうです。通りを行き交う人々は、みんな蛇のような、死んだ人のような目をしていました。霊的に見るとそのように見えたというのです。
そんな中で、梶栗さんは「前川さんに聖歌を歌ってもらうと、その場だけが清まった」と語っておられました。ちなみに、梶栗さんはその後、様々なものを霊的に見ることを意識的にやめるようにされたとのことです。
一方、とても度胸がある方でした。1966年頃、当時青年部長だった梶栗さんが渋谷駅のハチ公前広場で路傍伝道(演説)をされた時のエピソードです。
梶栗さんは「『ご通行中のみなさん』と呼び掛けると、その後は何を語るか自然に言葉が出てくる」と聞いていたけれど、『ご通行中のみなさん』と言っても何も出てこない。仕方がないので周囲を見回し、もう一度『ご通行中のみなさん』と言うと、言葉が下りてきたんだ」とおっしゃっていたのを思い出します。
ある時、文鮮明先生が私たちに「日本には冒険のできる男がいないよ。それでも2人いる」と言われたことがあります。そのうちの一人が梶栗会長でした。(談)
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