天暦8月22日(陽暦9月26日)午前10時から東京・高田馬場の新宿教会で、小野正博教区長の教会本部聖和(告別)式が行われ、本部関係者や牧会者、先輩家庭など約450人が参列しました。式典の模様は、小野教区長が2年半にわたり牧会者として歩んだ第9地区(関西)にもインターネット中継されました。
1988年に6500双の祝福を受けた小野教区長は、2002年からは牧会者としてみ旨に邁進されました。韓国滞在中の今年8月22日に負傷し、韓国の病院で治療を続けていましたが、9月20日午後5時7分、聖和されました。享年53歳でした。
小野教区長に対し、韓鶴子総裁から『祝 天城入国忠誠子』という揮毫が授与されています。
鴨野守広報局長の司会で始まった式典では、聖歌讃美、土谷幸子・兵庫教区婦人代表の報告祈祷に続き、略歴紹介が行われました。
小野教区長を偲ぶビデオの上映の後、土井マリ子・兵庫教区代表家庭部長が送辞を述べ、「教会員を深く愛された小野教区長は、特に二世に愛を注がれ、『二世が誇ることができる教会をつくらなければならない』と語っておられた」と証ししました。
聖歌隊による送歌に続き、梁昌植・世界平和統一家庭連合韓国総会長のメッセージを、趙萬雄・韓国家庭局長が代読。梁総会長は、韓鶴子総裁のみ言を引用しながら「人は地上でどれだけ長く生きたかが重要ではなく、その質がもっと重要だ」と語り、天の摂理の最前線で貴い犠牲となった小野教区長の生涯を称えました。
特別メッセージでは、宋龍天・全国祝福家庭総連合会総会長が「(小野教区長の)聖和は、殉職であり殉教だ」と指摘。その上で、「小野教区長の善なる公職者としての犠牲は、天の摂理を短縮するための犠牲だ。真の父母様(文鮮明師ご夫妻)の教えを30年間実践してきた小野教区長は、胸中で『この命を天に捧げることを通じて、天の摂理を進めてほしい、7年路程のVISION 2020の勝利のための貴い祭物として受け止めてほしい』と最後の瞬間まで神様に祈っていたはず」と強調しました。
み言拝読に続いて、主礼の徳野英治・日本統一教会会長が聖和の辞を述べました。その中で、徳野会長は「聖和の瞬間は、人生の“成績証明書”が出される恐ろしい時間でもある。人のため、家族のため、民族・国家のために尽くした人生だったか、さらにはみ旨や真の父母様、神様のために歩んだ人生だったのかが問われる」と説明。「小野教区長はみ旨を知り、生涯を神様と真の父母様、人類に捧げる決意をし、聖和の瞬間まで誠心誠意を尽くして歩んだ素晴らしい牧会者である」と語り、小野教区長を称賛しました。
徳野会長から小野教区長に対し特別功労賞が贈られ、妻のてる代さんが受け取りました。
聖歌讃美、徳野会長の祝祷に続き、最後に家族を代表して妻の小野てる代さんが挨拶。「夫が元気になり、日本に帰って家族で精誠を捧げていきたいという思いもあったが、聖和の瞬間には天の計らいと感じた。夫は時空の制限のない霊界でこれからも喜んでみ旨を歩んでいくはず。私たちも地上で頑張っていきたい」と語りました。
聖和式の閉会後、遺族や参列者全員で柩に花を入れながら最後の別れを行った後、小野教区長の棺は「原殿式」のため群馬県片品村の尾瀬霊園に向けて出発しました。
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同日午後3時45分から、群馬県片品村の尾瀬霊園で、小野正博教区長の原殿式(埋葬式)が執り行われ、約100人が参列しました。
まず霊園内のチャペルで、白井康友・家庭教育局長の司会で式典が行われました。聖歌讃美の後、淺川千恵子・東神戸教会婦人代表の報告祈祷、戸丸廣安・尾瀬霊園園長からの歓迎メッセージがありました。
続いて、12双祝福家庭である主礼の堀展賢先生が説教を行い、自身がかつて小野教区長と親しく語り合った間柄であることに触れながら、「韓日家庭の為に尽くされ、本当の意味で僑胞との溝を埋めた責任者だった。清い、貴い供え物として、日韓の愛の架け橋となられた」と小野教区長の生き様を称賛しました。
次に、陸泰昊・兵庫教区長が送辞を述べ、「小野教区長の成してきたことを食口からたくさん聞き、信念を持った情熱的な牧会者だったと感動しました」と語りました。
主礼の祈祷の後、全体で献花し、一同は小野教区長を納めた棺を先頭に、埋葬場所に移動。深さ2m20cmまで掘られた穴に棺を降ろした後、家族をはじめ参列者が土を3杯ずつ棺に掛ける「献土」を行いました。全体で聖歌讃美が流れるなか、小野教区長の娘さんたちは涙をハンカチで拭いながら、その場を見守っていました。
最後に家族を代表して妻の小野てる代さんが感謝の言葉を伝え、「夫はこれからもっと自由になって、天上と地上で活躍してくれることを信じています」と気丈に語りました。