7月28日、佐野地区長、張仁子指導講師を迎え、第9地区「原理教室」担当者研修会が開催されました。
研修会は、佐野地区長の講話から始まり、続いて張指導講師による「授受作用訓読」の模範講義が行われました。その後、14人ずつ2グループに分かれ、3時間用チャートを用いて演習の場が1時間設けられました。参加者は、ジェスチャーを交えて大きな声で訓読をし、全員がいきいきした表情で講義を行いました。
「原理教室」は、①訓読の伝統を立てるために重要なこと、②訓読を通して神様の心情に触れることが出来ること、③自己伝道に欠かすことの出来ないもの、であると再確認し、参加者は決意を新たに出発しました。
【参加者の感想】
講話・演習を通して、とても良い刺激を頂き、訓読にとことん投入していこうと決意を固めることが出来ました。「訓読チャート」を通して心霊が復活した基台をもって伝道活動をさらに頑張ってゆきたいと思います。
7月25日(日)、東東京教区で「拉致監禁・強制改宗に対する抗議集会とデモ行進」が行われました。当日の午前、同教区の江戸川教会で「全国拉致監禁・強制改宗被害者の会」の後藤徹代表を迎えて、拉致監禁問題解決の為の特別礼拝が行われました。江戸川教会は、後藤代表が1987年の1回目の拉致監禁解放後から1995年の2回目の拉致監禁までの間、所属していた教会でもあります。壇上に上がった後藤代表は、当時から親交のある教会員を紹介するなど、過去を思い出すように当時のことを語られました。最後に後藤代表は「12年5か月もの間、耐え忍ぶことができた理由の一つが、共に歩んだ兄弟姉妹達との情の絆だったということを今日、改めて実感しました」と感想を述べました。
会場を移して行われた抗議集会には、約150名が集いました。参加者は、鴨野守・広報局長による「監禁問題解決への取組みの経過報告」と後藤代表の拉致監禁被害の壮絶な実実体験の話に耳を傾けました。
デモ行進は、街宣車を先頭に約130名が横断幕やプラカードを持って歩き、今日まで4300人を超える統一教会信徒が拉致監禁被害を受けてきた事実と、このような統一教会の拉致問題による悲劇が一日も早く終結するように訴えました。行進中、デモ隊に手を振る通行人やビラの内容について尋ねてくる人など、デモに関心を示す様々な反応が見られました。
被害体験を壇上で語る後藤代表
拉致監禁反対を大声で訴えるデモ隊
炎天下の行進を終えたデモ隊
晴天の7月18日(日)、茨城県と宮城県の2ヵ所で、拉致監禁・強制改宗に対する抗議集会及びデモ行進が行われました。
茨城県水戸市では、炎天下の中、同県初の開催に予定を大幅に上回る約200名が参加しました。県庁横の広場で行われた抗議集会では、主催者の趙 鎭燮・実行委員長や本部の澤田一誠部長が参加者を前に、統一教会の拉致問題の悲惨な現実を訴えました。デモ隊は、水戸の歴史を彩る中心街を行進し、街中に響くほどの声で拉致監禁反対を叫びました。
宮城県仙台市では、啓蒙集会、抗議集会とデモ行進という三部構成での開催に、約300名が集まりました。政界、学界、医療界から来賓を迎えた啓蒙集会では、「全国 拉致監禁・強制改宗被害者の会」の後藤徹 代表がスピーチを行い、梶栗正義・拉致監禁対策実行委員長が「拉致監禁解放プロジェクト」の経過と現状についての報告が行いました。
デモ行進では、仙台の中心地のアーケード街を「拉致監禁は犯罪だ」と叫びながら、力強く練り歩きました。参加者からは、「11日に昇華祝祭が行われた藤田孝子さんへの思いや、自分自身の信仰を貫く決意を持って参加した」という声が聞かれました。
抗議集会で挨拶をする趙 鎭燮(チョウ・チンソプ) 実行委員長 (茨城)
炎天下の中、力強く行進するデモ隊 (茨城)
決意を新たにする200名の参加者 (茨城)
ステージから参加者に語りかける後藤代表 (宮城)
足を止めてデモ隊を見つめる市民 (宮城)
炎天下の中、一つになった参加者達 (宮城)
7月18日・19日の二日間に渡って、埼玉県で街宣車による「拉致監禁・強制改宗」に対する抗議の情宣活動が行われました。「全国 拉致監禁・強制改宗被害者の会」の後藤徹代表ら参加者は、二日間に渡り、県内の主要駅前での街頭演説とビラ配布を行い、道行く人に「拉致監禁は深刻な人権蹂躙です!」と被害を直接訴えました。
街宣車は、長年、統一教会員への拉致監禁に関与してきた清水与志雄牧師が所属する日本基督教団の行田教会周辺を回りながら、同牧師の拉致問題への関与に強く抗議しました。
行田教会周辺では、同月4日にも抗議集会およびデモ行進を行いました。デモ行進では、清水牧師から被害に遭った教会員の陳述書をもとに作成したビラを配布し、拉致監禁の犯罪性を強く訴えました。
街宣車から拉致監禁反対を大声で訴える参加者
被害を訴えるビラを配布するデモ参加者
手渡されたビラに見入る通行人
心一つに行進した幅広い年齢層の参加者
7月17日、晴れ渡った夏日、東京都杉並区に総勢200名を超える教会員が集合し、「拉致監禁・強制改宗」抗議集会およびデモ行進を行いました。
杉並区は拉致監禁に深く関与してきたキリスト教の荻窪栄光教会があり、「全国拉致監禁・強制改宗被害者の会」の後藤徹代表が長期間、監禁された場所です。6月14日に失踪した統一教会信者・Nさん(20代男性)の実家も同区にあります。抗議集会では、Nさんの婚約者・Sさんとその両親も参加しました。
「家族の時間は(Nさんが失踪した)6月14日から停まったままです」
Sさんは必死に婚約者の行方を捜しながらも、依然として手がかりが得られない状況を涙ながらに参加者に訴えました。
杉並警察署が、Nさんの事件を「親子の問題」と見なし、この拉致問題に関して適切な捜査をしないことに対して、デモ隊は「拉致監禁は犯罪だ!」「信教の自由を保障せよ!」と力強く訴えました。
終了後、後藤代表を中心として被害者や参加者が懇親会の場を持ちました。
7月12日、宋榮錫(ソン・ヨンソク)全国祝福家庭総連合会総会長を講師と
して迎え、 ファミリーフェスティバルin山口が山口教育会館多目的ホールに
て開催されました。
宋総会長は、「山口は日本の中でも素晴らしい人材が多く排出された地域であり、これからも日本・世界のために生きる人物が出てくることをお祈りいたします」と述べ 参加者を激励しました。
「神は存在する」と題した講義では、自身の体験談を交えながら天国を建設するために具体的に何をするべきかを語りました。
約430名の参加者は講義を熱心に聴き、喜びと感謝に包まれた一日となりました。
東京・新宿教会で2010年7月13日(火)、「拉致監禁・強制改宗 東京被害者の会」が月例集会を行いました。拉致監禁被害の経験者を中心に、「全国 拉致監禁・強制改宗被害者の会」の後藤徹代表や、今後被害に遭う可能性がある青年も参加しました。集会は、拉致監禁問題解決のための現在の取り組みの報告や参加者の様々な意見を交換する場となりました。
「被害者の会」の会員は、悲劇的な事件を体験して、未だに様々な傷を抱えている方も少なくありません。そのような中でも、 参加者からは「拉致監禁撲滅の取り組みは世界的規模で教会をあげて行われているが、当事者である被害者達が声をあげることの意味は大きい」という意見も聞かれました。今後の統一教会員の拉致問題に対する具体的な活動として、教会員の父母との交流の機会を増やすこと、社会に拉致監禁の被害を訴える街頭活動などが提案されました。
初めての参加者からは、 「同じ被害体験を持つ方と交流することができてとても良かった。今後とも是非参加したい」「これ以上自分のような被害者が出ないように出来ることなら何でも協力したい」などの感想が挙がりました。
7月11日(日)、三重県で拉致監禁・強制改宗に対する抗議集会とデモ行進が行われ、雨の降る中、約300名が集まりました。この日は、13年前、監禁されたマンションで自殺に追い込まれた藤田孝子さんの昇華祝祭と重なり、藤田さんへ黙祷を捧げる時間もありました。
集会では、代表者が拉致監禁の現状を訴え、被害者の作成した陳述書の一部を読み上げました。民主主義国家でありながら平然と拉致監禁が行われていることに対して、参加者達は義憤を覚え、デモ行進を行う決意を新たにしていました。時折激しく降る雨の中、全員が傘を差さずに心をひとつに、「監禁されている教会員を解放しろ!」「拉致監禁を許すな!」と拉致問題解決のために大声で叫びながら練り歩きました。
2010年7月11日(天暦5月30日)、梶栗玄太郎会長の主礼の下、本部役員、教会員、関連機関の責任者など百数十名が参列し、「藤田孝子姉 昇華祝祭」が日本統一教会本部礼拝堂にて執り行われました。全国にはインターネットを通じて式典の模様が配信され、約300の教会で全国の教会員が参列しました。
文亨進世界会長からは、藤田孝子さんに対して「天動聖孝性」の揮毫をいただきました。
◆昇華祝祭は、藤原秀敏・総務局長の司会のもと、小山田秀生先生の代表祈祷に始まり、梶栗正義・拉致監禁対策日本委員会実行委員長から趣旨説明が行われました。藤田孝子さんの生涯を紹介する映像が流れると、会場にはハンカチで目頭を押さえる人が多く見られました。文亨進世界会長はビデオメッセージを通して、「昇華祝祭を許諾してくださった真の父母様への感謝と、(藤田孝子さんが)統一家の英雄として真の父母様の愛と恩賜に包まれて永生されるよう祈祷を捧げる」と語られました。宋榮錫・全国祝福家庭総連合会総会長も同じくビデオメッセージを通して、日本全教会員と全霊界が共に、聖女として推戴した藤田孝子さんの昇華祝祭を捧げる意義を語られました。
◆主礼の梶栗玄太郎・日本統一教会会長は、「藤田孝子さんは密室という誰も味方がいない孤立無援の中で、あらゆる虐待を受けても抵抗することが出来ず、最後の力は自分自身であり、自分の命を捧げて、拉致監禁をする者に対する告発・抵抗・抗議をすること以外に、何も考えていなかったと解釈するのです。霊界に行ってまで抗議をする、これ以上の強みはないし、また、失うものも大きいのです。それを承知しながら、乗り越えて行ったということは、余程の事件があったに違いないと想像することができるのであります」と述べました。
さらに、梶栗会長は「『昇華祝祭』を通して、藤田さんは、メシアを救出した功績のあるヘイグ元長官のような聖人達と隊列を共にすることになりました。このような拉致監禁の被害者全員を統一教会は殉教者と見なします。聖人であり、英雄であります。帰ってくれば、そのように歓迎するつもりであります」と語りました。
その後、祝歌「主の祈り」、代表者による献花、主礼による祝祷と全体祈祷の後、億万歳をもって昇華祝祭は終わりました。
参加者一同が歴史の犠牲者と共に、御旨の前に新たな決意で出発する時間となりました。
◆藤田孝子さんの略歴
1970年7月5日、愛媛県新居浜市生まれ。
京都にある華頂短大社会福祉学科に入学直後、統一原理を紹介され入教。
95年8月25日に韓日祝福(36万双)を受ける。
96年12月、韓国で家庭を出発。
97年3月、一時帰国した際、拉致監禁される。
97年7月12日朝、監禁先の京都のマンションのトイレで自殺を図り、運ばれた京都・西陣病院で13日早朝、死亡。
2002年6月、霊界祝福を受ける。
月刊誌「財界にっぽん」8月号に、今回で5回目となる拉致監禁・強制改宗に関する特別レポートが掲載されました。
「―国連人権委員会で次々と起こる『拉致監禁』批判― 米国では政府や基督教会、韓国マスコミも非難。 世界標準の人権侵害見過ごせば日本政府は大恥」という見出しで、全4ページにわたって、日本で起きている拉致監禁・強制改宗の実態が国際社会の目にどのように映っているかを伝えています。
同誌は記事中で、拉致監禁の当事国の日本では、社会的にそれらの事件がほとんど知られていないのに対し、海外では人権侵害のブーイングが一段と大きくなっている状況を指して「ドーナツ化現象」と表現。日本が欧米諸国をはじめ世界の非難の的になることは免れないだろう、と論じています。
同誌は、7月1日から全国の主要書店で販売されています。主要図書館でも閲覧することができます。
2010年7月4日(日)、東京都渋谷にて「拉致監禁・強制棄教に対する抗議集会及びデモ行進」が行われました。集会では、拉致監禁対策日本委員会の梶栗正義・実行委員長が参席し、集まった人々に対して、「拉致監禁の被害を根絶するために、まずは我々統一教会とその信徒が立ち上がらなければならない!」と熱く訴えました。
デモ行進のコースは、JR恵比寿駅前や渋谷駅前など中央市街地を通過するコースでした。多くの人が行き交う恵比寿駅前を総勢350人で練り歩くと、「がんばって!」と声援を送ってくれる通行人もいました。渋谷駅前では、買い物客で賑わう通りや交差点などをデモ隊が行進すると、歩道橋の上から関心を示す人や、わざわざ商店から出てデモの訴えに聞き入る人など、日曜の午後に、沢山の人で溢れるエリアでのデモ行進として、人々の注目を集めるものとなりました。
渋谷警察署の前を行進するデモ隊
デモ隊を眺める通行人
渋谷駅前を行進するデモ隊
大通りを通過するデモ隊
350人が集った恵比寿公園
前回に引き続き、在韓日本婦人3名の証し文を掲載します。
4.木村純子
5.山口英子
6.吉田美穂
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『私の韓国生活』
2010年6月27日
木村純子
忠清南道 天安市在住
アンニョンハセヨ 私は韓国の忠清南道天安市に住む木村純子と申します。
私が始めて韓国に来たのは1988年10月30日、練炭の香りがほのかにただよう秋の1日でした。この日が国際合同結婚式でした。今思えば、私の人生最大の事件とも言うべき出来事でありました。こんな私にも恐るべき勇気が備わっていたのだと今でも驚いています。
私には弟が2人います。自動車修理業を営む善人のかたまりの様な父と、看護婦あがりのちょっとハイカラで情け深い母――私が愛してやまない誇り高いこの両親のもとに生まれました。
ところが、私は幼いころからどうも両親には似ておらず、「お前は橋の下で拾われてきた子だ」という冗談を冗談として受け止められないほど不安な日々を過ごしたりもしました。ところが2人の弟を見ると、目や足など体の部分部分が私に似ていることに気付き、幼い私はそんな事で安心したものです。
そんな私が結婚して驚いたのは、主人のお母さん(姑)が、何と私にそっくりだという所です。私はまるで産みの母に出会ったような感動を覚え、知らず知らずに涙が溢れて来てずっと泣いた事を思い出します。
私はこの韓国にお嫁に来て本当に良かったと思うことがあります。それは、この国には孝の精神が深く根付いているというところです。両親の誕生日、そして父の日や母に日には、どんなに遠くに住んでいても必ず訪ねて行って、子供たちの家族がみんな集まって両親と1日楽しく過ごすというところです。
また、先祖の命日の日には、嫁達が前日から買い物をし、肉料理、魚料理、果物、野菜の和え物、お餅、栗やナツメ等の穀物など、韓国の風習に習って祭壇に手作りの料理でお供えし、息子たちがご先祖様に敬礼を捧げるという文化が今も根強く残っているというところです。
両親にだけではなく、年上の人にはきちんと尊敬語を使い分ける民族であるというところが私は大好きです。
私は週3回ほど、洞(町の公民館)の事務所で日本語の講師を5年ほどしています。9時半から12時半まで初歩クラス、中級クラス、高級クラスの3つのクラスを受け持っています。事務所の開所式の時には、受講生20人と共に舞台に上がり、“恋人よ”と“プサン港へ帰れ”を歌と振り付けで熱演し、天安の市長さんや洞の洞長さんに絶賛されました。
先日、洞のバザーでは日本語チームとしてブースを1つ任され、受講生と一緒に日本の小説(古本)、日本人形、チョコレートやカップスープ等を展示販売した結果、とても好評で、今事務所にはこの日のハッピ姿の写真が大きく展示されています。
私には夢があります。とてもささやかな夢ですが、家族や友人、親戚を我が家に招いて世界で一番おいしい手作りキムチでおもてなしをすることです。
洞事務所の日本語の受講生の中に、以前日本食の料亭を構えていらっしゃった方がいます(大統領がよくおいでになったとか)。今はお年でお店はたたんでしまわれましたが、この方のキムチを食べたらほかのおかずが目に入らないほどおいしいのです。超一流です。実は今、このお母さんからキムチを習っています。「お嫁さんにも教えたことのない秘法だよ」と言いながら、1つ1つ手をとりながら教えてくださいます。娘にようにかわいがって下さります。私の両親は他界して17年になりますが、私の周りには日本の両親を思わせるようなお父さんお母さんがたくさんいらっしゃいます。
午後の間食の時間になると、時々果物やお菓子を手にぶら下げて老人会館に遊びに行き、歌を一緒に歌ったり肩もみをして差し上げたりしています。近所ではちょっと有名な日本のお嫁さんです。
こんな私を主人や息子たちが温かく見守ってくれます。息子たちは時々学校で私の自慢をしているそうです。友達を家に連れて来た時は、日本の手作りお菓子や焼きうどんなどでご馳走しています。素朴な普通の家庭ですが、韓国の皆さんに温かく育まれ、元気に楽しく暮らしております。
キムチの腕をもうすぐ誰かにほめられそうで、1人にやけ顔の今日この頃です。ありがとうございました。
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『統一教会を通して得たもの』
2010年6月27日
山口英子
ソウル市在住
私は平凡な公務員の娘として生まれ、嫁姑関係が良くない家庭の中で育ったためか、家族の仲が悪いと地獄だというのを9歳の頃から感じていました。中学1年の頃、地球滅亡の予言が巷に流れ、死に向かう人類がどのように生きるべきか、私は個人的な喜びより世界の人のために何かしたいという気持が湧きました。
その後、指導者的な役割をしながらも虚しくて疎外感を感じながら過ごしていました。
芸術を通して悩める人の心を解放したいという希望を持ち、日本大学芸術学部映画学科脚本コースに進学しましたが、疎外感は募る一方でした。そうこうする中、卒業して2年半後に統一教会にはじめて出会いました。
統一原理を聞いた瞬間、これは真理だと感じました。人類を愛する親なる神の存在、人類の初めての先祖の堕落により生じた人間の不幸、それを本来の創造理想の世界に復帰していくための文先生と統一教会の人たちの具体的な平和運動を知り、希望を感じて入教しました。
日本が韓国に対して行なった過去の残虐な歴史を知り、罪の償いをして新しい日本と韓国の友好関係を築きたいと、7年後に韓国人との結婚を申し込みました。
韓国に来て韓国の人々の温かくて率直な人柄に触れ、個人主義でなく、目上の人を敬い、常に周りの人たちに配慮する姿勢から多くのことを学びました。日本が過去にしたことは忘れないが、子孫たちとは良い関係を築いていきたいという前向きな態度に頭が下がりました。
私は1988年に韓国に来ましたが、1990年から日本語を教えはじめ、1995年から2009年まで柳韓大学産業日本語科で講師を勤めました。現在、区役所(区庁)と文化院で教えています。1992年から統一教会が行った韓日女性姉妹結縁の引率、通訳をはじめとして安保セミナーや家庭の愛と秩序を回復する運動をする傍ら、韓国の国が管理する団体に運営理事として入り、8年ぐらい活動をしました。今まで大韓老人支会(全国規模の団体)の九老区の会長賞、2人の区長賞、ソウル市長賞などをはじめとしてたくさんの賞をいただきました。
去年には詩人として文壇デビューし、法務部(日本では法務省)が全国に作った結婚移民者ネットワークのソウルの会長になりました。そのお陰で、李明博大統領の前で多文化家庭を代表して法律の改善案のスピーチもさせていただきました。
個人的には姑と主人と3人の子供と一緒に暮していますが、主人は教会の教えを守りお酒も飲まないし、たばこも吸わないし、家庭的で地域活動も積極的にしています。統一教会の教えの根本は絶対浮気しない事です。統一教会で国際結婚したお陰で,個人としても活躍でき(主人が陰で助けてくれます)、家庭的にも幸せで、常に社会、国家、世界に貢献することを意識して暮しています。また、永遠の世界も考えながら誠実に自分の魂を磨いていく努力ができ、とても幸せだと思います。
日本での偏った報道は、韓国社会で地域奉仕をしながら老父母に仕え、子供たちを一生懸命育てて国民からも認められている韓国統一教会の善良なる家庭婦人たちを冒涜するものであり、事実とは全く異なるものです。統一教会の信者たちはすべての人が親なる神さまの愛を受け、世界人類がひとつの家族となり、平和と発展を共に分かち合う理想世界を築く運動に感動して参加した人たちです。
宗教を理解できないからと言って、文先生が率いる統一教会の世界的な基盤と活動を無視しないでください。ソ連の共産主義を崩壊させ、宗教間の和解をはかり、社会の基盤である家庭の愛と秩序を回復する教育をはじめとして、様々な分野でトップクラスの人たちをまとめて会議を開催しながら、地球レベルの愛と平和回復運動を行っている内容を紹介してください。
もっと人のためになる報道をしてくださるようお願い致します。
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『韓国生活で歌手になる夢叶う』
2010年6月26日
吉田美穂
慶尚南道 在住
私は埼玉県出身で、2000年に韓国にお嫁に来ました。夫の両親と同居しながら、3人の子供に恵まれ、幸せにすごしています。現在の職業は、歌手兼歌謡曲の講師です。
1998年に初めて夫と出会いました。言葉はもちろん、韓国に来たばかりで何も分からない私を理解し、私に1つでも多く何かをしてあげようとする夫の姿に、とても感動しました。夫の両親や妹も同じでした。義妹は、嫌な顔ひとつせず心のこもった食事を準備し、私の服まで洗濯してくれ、最初は戸惑いました。後になって、それが韓国人の「情」の表れなのだと気がつきました。
「日本人だからと気に入られなかったらどうしよう」と心配もしましたが、皆が私に温かく接してくれました。そんな家族を、私は喜ばせたいと思いました。
まずは言葉でした。「どうやって勉強するか」と考えていたとき、韓国の歌を聴いて「これだ」と思い、歌の歌詞と意味を一緒に覚え始めました。そして、その歌を家族の前で歌ったら、本当に喜ばれました。韓国語も自然に上達し、家族に喜んでもらえました。
韓国で暮らしながら、韓国の人たちは日本人に比べて個人主義的ではなく、情が深いということを感じてきました。食事の時のおかずひとつにしても、たくさん作って分け合うし、お客様がきたら、先ず「食事をしたのか」と尋ねるのが挨拶で、家に何もなかったとしても、何かひとつでも持たせて送り出します。これが「情」であり、「韓国人は、ために生きるということが、身についているんだな」ということを日々の生活の中で感じ、それは私にとって驚きでした。本当に多くのことを学びました。
日本の両親は、私の変化にとても驚きました。父は私の表情が変わり、顔もきれいになったと言ってくれました。
まったく考えもしていなかったのですが、韓国で生活しながら私の夢をかなえられるチャンスが訪れました。家族が私に「歌がうまいから、のど自慢に出てみたらどうか。うまくいって、歌手になった人もいるから」と言って、積極的にあと押しをしてくれました。特に期待もせずに出場したのですが、気がつけば「KBS挑戦主婦歌謡スター」という番組で4連勝し、「SBSスターキング」という番組で3連勝して、さらに音盤まで出すことになりました。歌手になることが私の夢で、私の実家の両親の夢でした。
韓国で暮らしながら、本当に多くのことを学びました。「このように歌ったら、聴いている人はどんな気持ちになるか」「どのような声が相手に心地よく聞こえるか」「どういう歌を歌ったら相手を楽しませることができるか」など様々なことを考えます。私の歌は韓国生活が基盤になっています。本当に感謝しています。
私を大事にしてかわいがってくださるご両親、家事まで手伝ってくれながら私の夢を応援してくれる愛する夫、かわいい3人の子供たちがいて、私は本当に幸せ者です。
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6月27日(日)、千葉県松戸市で「拉致監禁・強制改宗 抗議デモ集会」が行われました。「全国 拉致監禁・強制改宗被害者の会」の後藤徹代表がスピーチを行い、「いまだに拉致監禁・強制棄教をしている牧師たちがいます!私は先日(6/23)、拉致監禁事件に関与した被疑者に対して、東京地検が下した不起訴処分を不服として検察審査会に申し立てをしました。これからも応援よろしくお願いします!」と集会参加者に訴えました。
デモ行進には約300人が参加し、「拉致監禁、強制改宗を許すな!」「信教の自由を踏みにじるな!」「犯罪行為を親子問題とすりかえるな!」などと連呼しながら、JR松戸駅周辺の繁華街を行進しました。
解散後、後藤代表の体験を直接聞こうと、20名近くの青年が同代表を囲んでミニ集会の時間を持ちました。青年たちが統一教会の拉致問題に対して関心が高まっているだけでなく、青年たちが他人事ではないと思っていることが感じられました。
また、同日の集会前には、拉致監禁の被害にあった教会員が、監禁中に説得を受けた松戸市の吉田好里牧師を約二十年ぶりに訪問するという勇気ある行動もありました。
松戸駅前の繁華街を練り歩くデモ隊
参加者に語りかける後藤徹・被害者の会代表
後藤代表の言葉に熱心に耳を傾ける若者たち
「週刊ポスト」誌(小学館発行)2010年6月4日号に掲載された偏向記事をめぐって、当法人が同誌編集部に厳重に抗議し、謝罪・訂正を求めていることは、これまでこのホームページで紹介してきた通りです。
ポスト誌は、国際合同祝福結婚式に参加して韓国に嫁いだ日本祝福婦人の多くが、悲惨な生活を強いられ不幸に見舞われている、と事実を大きく歪曲して伝えました。このことに韓国の地で幸せに暮らしている大多数の日本婦人とその家族は非常に憤り、心を痛めています。
そして、在韓日本婦人会はこのほど、現地での生活の様子を綴った日本婦人の証し文20通を同誌編集部に送付しました。そこには、韓国の地で文化・民族の壁を乗り越え、妻として母としての役割を果たしながら、日韓両国の架け橋になろうと懸命に生きてきた姿が鮮やかに描かれています。
筆者の了解を得て、ここにその一部を2回に分けて紹介します。(2回目は7月7日に掲載予定)
1.瀧口恵子さん
2.宇田悦子さん
3.鈴木きくこさん
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『苦労が苦労で終わらないように…』
2010年6月25日
瀧口恵子
全羅南道在住
私は1982年に韓国の男性と出会い結婚しました。
人は皆「幸せになりたい!」と願い、その幸せを手に入れるため努力をします。その幸せの条件とは何でしょうか?私の主人は一般の人が考える良い条件――すなわち、お金、学歴、健康のどれ1つ取ってもその条件に満たない人です。主人の家は貧しかったため、高校に行けず主人の学歴は中卒で、加えて体に障害すら持っていました。
今年、還暦を迎えた主人は、もとは健康体でした。それが19才のとき友人が持っていた銃の玉の破片を頭に受けるという事故にあったのです。3日間の昏睡状態のあと目が覚めてみると顔の左側、そして左半身が麻痺していました。友人である加害者の両親は驚き、大事な牛を1頭売り払い病院費と見舞金が渡されました。1人の人間の一生を台無しにしたのですから、いくら高価であっても牛1頭で全てが解決するわけではありません。恩讐とも思える友人ですが、今は都市に出て生活していますので、顔を会わす機会はありません。けれども儒教の教えが根強く残る韓国、田舎に1人残った友人の母親を、主人は実の母のように慕い時間のあるごとに訪ねています。特に「父母の日」には必ずカーネーションを忘れずに胸につけてあげています。
こんな主人との間に息子と娘がいます。現在、息子は軍隊生活をしています。兵役は韓国に生まれた男子として当然の義務です。ですが、韓国も少子化のため、子供に苦労させたくない親が多く、あらゆる手段を使い兵役を逃れさせようとします。息子は、親戚からも「時間の浪費、行くような奴は馬鹿」とまで言われました。ですが「苦労したい」と元気に出かけていきました。数ヶ月後、息子から届いた手紙にはこう書いてありました。
“訓練所で一番苦痛といわれる各個戦闘と30kmの行軍を無事に終えました。
2泊3日訓練の最後は寝ないで30kmの距離を10kg以上の軍裝を背負って歩くのです。歩くことには自信があったのですが、けして甘くはありませんでした。5時間20分で無事終了!
でも最後の2時間は精神的に大変でした。この時に力を与えてくれたのが家族の存在です。お父さんとお母さん、そして妹と交した記憶を思いだし克服しました。ありがとうございます。
この世で生きていくのに「家族の存在」そして周囲の人々との交流関係がとても大切であり、力の源になるのだと強く感じました。もちろん、これを知らなかった訳ではなく、思っていなかった訳でもありませんが「得る」のでなく「体得」をしたというべきでしょうか!軍隊での訓練は・・体の訓練をするだけではないようです。他では体験できない貴重な時間を過ごして帰りますので心配しないでください。”
私はこの手紙を読んで「韓国にお嫁に来たことは間違いではなかった!」と思いました。お金も学歴も健康も無い主人から、私はなんと大きな財産を与えられて生活してきたことか――。
これからも苦労を宝として生活していきたいです。
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『国際祝福結婚について』
2010年6月26日
在韓日本婦人会 副会長 宇田悦子
ソウル在住
私は1982年10月14日、夫の金相均さん(現在、一美歯科院長)と6000組の国際合同結婚式(祝福式)に参加しました。そして1984年11月20日、信仰の祖国・韓国に参りました。夫は5人兄弟の末子でありましたけれど、私たち夫婦が夫の両親と同居し、お二人が亡くなられるまで物心両面で最善を尽くして面倒を見ることとなりました。
夫の家系は、慶州金氏の両班の血統でありましたから、最初は日本人の嫁である私に対して親戚一同良く思っていませんでした(特に日帝時代の悪いイメージがありました)。しかし、親戚の中でももっとも気難しい舅に仕え、2男3女の子女を生んでよく育てている姿を見て、すっかり良い方に変わっていきました。私は日本の高知の女であり、よい意味での「いごっそう(頑固)」であります。
統一教会の信仰の大先輩である姑とは一度も喧嘩したことはなく、洞内でも評判の仲の良い日本人の嫁と韓国人の姑という事で、KBS(아침 마당)のテレビにも数回出演しましたし、一般の雑誌にも掲載されました。しかも、夫の長兄のお嫁さんは舅が恐くて1週間も同居できませんでした。「気難しい舅とどうしたら仲良く住めるのか」と私に聞きに来た事もありました。文先生の教えのごとく、真の愛は国境を超え、恩讐も超えて、最も近い実の父母のような心情関係にまで発展させることができます。
また、私は夫を心から尊敬しています。1歳の時から母親の背におわれて統一教会に通い、母親の信仰に支えられて立派に成長し、韓国の名門京畿道高等学校、ソウル大学、そして博士まで修得し、現在は一美歯科院長としての責任はもちろん、後輩で苦労している医学生に奨学金を与えて、後輩の育成に力を注いでいます。
そして、財団法人愛苑の福祉会館の理事長を長く引き受け、寄付金を出し、自ら出向いて身障者や1人暮らしの老人のために無料奉仕をしています。そのため、ソウル市庁から長官賞、奉仕賞も頂きました。そして1年に1回、海外の医療奉仕に外国の統一教会の医者たちと共に出かけていきます。今までにモンゴル、フィリピン、ブラジル、バングラディッシュ等に行きました。今年はカンボジアに行く予定です。私はいつも忙しい夫の健康を祈るばかりです。
私たちの5人の子供は、長女が2005年12月29日にオーストラリアの方と祝福を受けました。いま娘はシドニー大学で勉強し、父親と同じ医者としての道を歩むために努力しています。異国の地で明るく負けずに産み月になっても現地の学生以上に一生懸命勉強する姿に、シドニー大学の教授たちも驚き、娘を記憶してくださり、生まれた子供についてたびたび聞かれるそうです。娘は夫のクリスとも仲良く、長男の嫁として、東洋人に対する差別の激しいオーストラリアで現地の学生にも一目置かれるほどに頑張っています。そんな娘を見ながら、私は誇らしく思っています。長女が生んだ孫には韓国、日本、カナダ、オーストラリアの4カ国の血が流れています。4カ国の両親・親戚から愛されて、今すくすくと育っています。
私たちの2番目の娘も歯科医としての道を歩むため、努力しています。5人とも大学に入学し、それぞれに頑張っている姿を見て、私たち夫婦も本当に心から感謝しています。
主人の次兄の3人の子供たちも祝福式に参加し、アメリカにも親戚ができました。私たち夫婦も韓国、日本、オーストラリア、アメリカと各国に連結され、「人類一家族」を少し実感している今日このごろです。
2009年12月には、韓国人にとっても難しい健全な家庭を築き、5人の子供を育てて韓国に貢献しているとして、ソウル・城北区の女性団体から区庁で感謝碑を頂きました。
週刊ポストの記者の方には言いたいことがたくさんあります。このごろでは「日本の政府がやれないことをこの韓国に嫁いだ日本人のお嫁さんたちがやってくれている。日本政府はこの人たちに賞をあげなければいけない」と韓国人の口から聞こえてきます。
どうぞ韓国、日本両国の親善のためにも、正しい報道をしてくださるようお願いいたします。
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『“世界平和に寄与できるのは国際結婚だ”と飛込んできた韓国男性との結婚』
2010年6月25日
鈴木きくこ
ソウル在住
今のように韓国の情報があまりなかったころ、ほこりっぽい大地に頬骨のはった人々が憂鬱げに黙々と働く姿(いわゆる独裁政権時代でした)を漠然と頭に描きながら海を渡っていった覚えがあります。
24年目に入る韓国での生活ですが、私は日々を心から感謝しながら過ごしています。
この国に暮らしながら、人々との付き合いの中で、あるいはこの国のもつ歴史を通して、人の心と文化の気高さを学びとても感動しているからです。
いま日本の人たちが韓国ドラマに心が憑かれているのは、韓流スターたちのすばらしい容姿以上にその台詞にあるとも言います。最近はただ心のひだを刺激するためだけのようなセリフも少なくないようですが、「どうしてあのような台詞がでてくるのか」と感嘆させられるものが少なくありません。私はあのような台詞は、この国の歴史と思想の結集だろうと考えています。
日本の人たちがあり得ないと感じるけれども感動する場面として、バスや汽車を追いかけるシーンが挙げられます。私の姑は私たちが田舎に帰った時、「せっかく作っておいた民間療方の補薬を息子(夫)が家に置いたままバスに乗ってしまった」と、私たちの乗ったバスの後を追いかけて来たことがありました。最後部の座席から「オンマー(おかあさん)もういいから帰りなよ」と手を振る息子に、地団駄ふんで悔しがり、恨めしさを体じゅうで表わす姑の姿になんともいえない愛着を感じました。
私の実家の父が亡くなった時は、知らせを耳にするや「交通費の足しに」と100万ウォンを送金してくださった夫の兄夫婦。
情の世界では、何倍何十倍も通じやすいのが韓国でした。踏み付けられてきた国なのに寛容で大らかなこの地に感謝しながらも、私たちは時々こういうことも経験します。田舎の70才近くのおじさんに「自分の幼かったころ、日本人が本当に米という米を全部持って行ってしまったんだ」と言われた時は、思わず「知っていらっしゃたんですか」と聞き直してしまったことがありました。いわゆる日帝時代の話です。私よりもっと以前から韓国の地方に住んでいる日本のお嫁さんは「近所の大学教授の奥さんの日帝時代の話を10年間聞き続けましたよ。10年黙って聞き続けていたらね、相手の方から『もう辞めよう、発展性がないね』と言って話さなくなった。また、息子を産んだらね、舅はその赤ん坊の顔を見て『ありがとう』と言って、日帝時代の話をしなくなったんだね」と話してくれたことがありました。
私たちは平和を願ってこの地韓国に渡って来て、かえって多くのものを得て、ただただ感謝しています。信じがたいとは思いますが、ダイヤモンドの鉱脈を堀りあてたような感激があります。
今年2010年は、安重根逝去100年、日韓併合100年、朝鮮動乱勃発60年の年です。戦争はどんな理由をつけたとしても、強者が弱者を蹂躙するものです。言葉の蹂躙も同じです。真心と真実をふみにじるような報道は是非控えてくださるよう心からお願いいたします。
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5月24日に発売された『週刊ポスト』(6月4日号)の「韓国農民にあてがわれた統一教会・合同結婚式 日本人妻の『SEX地獄』」に対し、韓国から謝罪・訂正を求める抗議文がこのほど発行元の小学館に対して送付されました。ご本人の許可を得て、以下に2通の文面を紹介いたします。
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週刊ポストの統一教会の記事について抗議します!
まず、大きな見出しの“韓国農民にあてがわれた統一教会、合同結婚式日本人妻のSEX地獄”にあきれてしまいました。何を考えこのような、ばかばかしい記事を出したのか、北海道大学の櫻井教授が書いた本をもとにこのような記事を出したでしょうが、記事を出す前にしっかりと韓国に住んでいる私達統一教会信者に対する正当な取材が無かったからあのような間違った本の内容だけで記事をだすような無責任な報道をしたのですか。
“私たちの調査によって、合同結婚式にはこうした側面があったことがわかったのです。”と書いてありましたが、一体どんな調査をしたのでしょうか?一部の問題を韓国に嫁いだ日本婦人達全員が問題を抱えているような表現をされ、問題ばかりがクローズアップされております。その後、その問題が解決されたなどは全然出されていません。ましてや、都市で生活している婦人達がはるかに多くいるのにもかかわらず、何故、農村の嫁不足の対策として送り込まれたなどと歪曲して悪いイメージをもたせる報道をするのでしょうか。
又、中西関西大学非常勤講師が聞き取り調査をしたのが何年前のことでしょうか?そして、その調査当時、幸せに暮らしている日本婦人達にもたくさん会っているでしょうに何故、そのことにはクローズアップされないのですか?とても悪意のある意図的で異常な報道としか思えません。“幸せを感じている日本人妻もいるようだ”とわずかに表現し、残り99%は問題ばかりだと意図的に焦点を合わせています。しかし、私をはじめ現実は幸せに暮らし海外での結婚生活に満足を感じている人も多くいます。このことをしっかり認めもう一度正しい取材をし、公正な報道をすることを要望します。
このように一方的に問題を強調する記事を出す週刊ポスト自体の正当性が異常に疑われます。
まず、日本人として日本のマスコミ“週刊ポスト”の偏向性に対して、はずかしいほどです。良心に恥じないのでしょうか?
韓国で幸せに暮らす私達に対し失礼ですし、日本に住んでいる私達の家族に対してもとても失礼千万な内容で、許すこともできません。何も知らない人達はどう思うことでしょうか?謝罪と正当な記事を掲載するよう強く要求致します。
最近韓国のマスコミは統一教会に対する正しい報道をするようになりました。それは、マスコミの正しい取材による正しい報道です。それをみると私達が感動するほどです。
報道する側の責任を取り、大々的に謝罪をした上でもう一度正しい取材を行い、正しい記事を書くようにして下さい。一週間以内に返答を下さいますように、よろしくお願いします。
在韓日本婦人会 事務局長 伊差川和枝
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小学館「週刊ポスト」編集部
抗議文
2010年6月4日号に掲載された週刊ポストの記事は、韓国に住む私たち統一教会の日本人達を非常に憤慨やるかたない思いにさせました。そして、余りに、偏った記事の取り扱いに腹立たしさを覚えました。私自身、結婚して28年、韓国を第2の故郷とし生きている者ですが、しかし、一部の取材を頼りに、それをこの韓国で生きている者たちのすべての姿であるような書き方や、捕らえ方に驚くばかりです。
私は在韓日本人女性を代表する立場で、甚だしい事実無根に一言、異議を申し上げたいと、ペンを執りました。
『統一教会日本宣教の戦略と韓日祝福』の櫻井義秀教授と共著になって執筆してる中西尋子関西学院大学非常勤講師が3年ほど前でしょうか、足繁くわが教会に通って来ては、わが教授教会の礼拝に参加しながら私たち仲間の情報を収集されていた姿を私も知っております。
公正な立場で在韓統一教会の日本人信徒たちの話を聞きたいという申し込みにわれわれは疑うことも知らずに気軽にインタビューに答えましたし、紹介もいたしました。『誰を訪ねたらよいか』などと相談されると、誠意を持っていろいろな人を紹介もした立場です。しかし、その彼女が公正を欠くどころか、われわれを騙し、裏切り、反対派のお先棒を担ぐような立場に立って述べている事に非常に驚きました。
私たち統一教会は韓国から出発した宗教でありますから、信徒たちが信仰の祖国として韓国を仰いでいるのは自然なことであります。信仰の教義や理念のもとに行われている教会内の敬虔な儀式が、興味本位な解説で述べられ、すべてを知っているかのごとく書かれていることに対しても、学者であられる方のなされることだろうかと疑問を抱かざるを得ません。
私たち日本女性はこの韓国の地に20年30年と生きて参りました。日本以上に家族の絆を重視する文化に溶け合うまでには並々ならぬ努力がありましたし、言うに言えない涙を流したことも事実です。農村に入っていけば、まだまだ発展の余地ある韓国農村ではありますが、その中に入って嫁として、愛され、妻として母として、子供を育てながら逞しく生き抜いてまいりました。農村に嫁いだ日本女性を特殊な枠にはめてすべての日本人がこんな生活を強いられているかの如き表現方法は誤解を招かざるを得ません。
私の親しい友人の中に忠清南道禮山に嫁いだ小川照代さんがいます。彼女は東京に住んでいましたが韓国の農村に嫁いで来ました。根っから明るく社交性のある彼女は地元で、奉仕活動や村の公民館などで日本語を教えるなどいろいろな人と出会いながらその村の人気者になり2006年から現在までその町の婦人会の会長として推薦され活躍しております。多文化家庭が注目されて来た頃その郡が主催する集会の中で、彼女は多文化家庭の体験発表をしたのです。そして彼女はその中で韓国の家族関係のすばらしさや、情の深さを訴えました。
『夫が事情があって長い間、家に居らず農作業など一人でやらなければならなかったとき、村中の人々が代わる代わる農作業をわが事のように手伝ってくれ、無事に忙しい農繁期を乗り越えることが出来ました。いまでもこの村にはこんな素晴らしい助け合う精神が残っています。』と経験を語りながら彼女の住む村を絶賛したのです。審査員として参加していた道知事が感動してその村に一億ウォンの援助金を、さらに参席していた郡守(市長)が1億ウォンをその村のために援助してくれたというのです。彼女のもらった賞金で、その村の水道の施設を作ったり、また舗装されていない道路を拡張しアスファルトにしたというように村の人々のために貢献し村の人々から喜ばれているのです。また付け加えれば彼女は2009年多文化模範家庭として法務部長官賞(日本の法務大臣賞に該当)を受賞したのです。このようにたいへんだといわれる農村の中でこんな元気に頑張って証しをたてている人々もいるということを中西さんはどうとらえているのでしょうか。そして、週刊ポストはそういう事実を私たちに取材する事もなしに、なぜとんでもない報道に陥ったのでしょうか。このような悪意溢れる記事に対して許すことが出来ません。多くの喜んで生活している者達のことも正しく取材し報道して頂きたいと心からお願い致します。
また、在韓日本人の中には、さまざまな分野で活躍している人々もたくさんいます。韓国の日本語学習熱は今も変わりなく、小中高大はもちろん様々な公共機関でも、日本語学習者が多いです。統一教会の女性の中にも、日本語教育に携わっている者達は1000名を越えますし、また大学で日本語教授として日本語教育に携わっている者は200名程おります。それぞれの分野で韓日文化交流の先頭に立って活躍しているものも多くいるということを付け加えておきます。
私達は、韓日の歴史の中で恩讐関係のような時期もありましたが、いまや韓国社会の中でしっかりと、根を下ろして韓日関係の架け橋になろうとしております。そしてこの韓国に住んでいても、いつも日本国の代表であり、民間外交官であるとの自覚を持って歩んで参ります。
ジャーナリストとしての良心があるのであれば、謝罪訂正をするか、いま一度偏見なき取材をして公正な記事を書くのか、貴社の返答を一週間以内にお送り下さい。
在韓日本婦人会会長 増渕はる美
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東東京と東愛知で6月27日(日)、抗議集会とデモ行進が行われました。東京・新宿での抗議集会では、現在監禁されているNさんの婚約者であるSさんとその母親も駆けつけ、親子で涙ながらに拉致監禁の悲惨な現状を訴えました。参加者は現在も続いている拉致問題の実態を聞き、深く心打たれている様子でした。デモ行進では、200名以上が参加し、人通りで賑わう新宿駅前を練り歩きました。人通りの最も多い新宿の伊勢丹付近では、多くの人が立ち止まりデモ隊を見ていました。
愛知県豊田市では、約180名による拉致監禁・脱会強要の根絶を訴えるデモ行進が実施されました。豊田駅西口の広場を出発したデモ隊は、横断幕やのぼりを掲げながら、「恐るべき人権侵害である拉致監禁・脱会強制を許すな!」と叫び、力強く豊田スタジアムまでの道を行進しました。
東京・新宿でのデモ行進
東京・新宿でのデモ行進
東京・新宿でのデモ行進
愛知・豊田駅前でパネルを見る通行人
愛知・豊田でのデモ行進
「全国 拉致監禁・強制改宗被害者の会」の後藤徹代表が、6月23日(水)、東京地検による刑事告訴不起訴処分に対して、不服申し立てを検察審査会に申請したことを同会のホームページで明らかにしました。
詳しくは、以下のホームページに掲載されていますので、ご参照下さい。
・「全国 拉致監禁・強制改宗被害者の会」HP