真の父母様御聖誕及び真の父母様古希記念「第2回統一教美術公募展」が開催されます。日本からの参加作品を下記のように募集しますので、多くの方の参加をお待ちしております。
-記-
イ. 主催:天福宮
ロ. 公募部門:韓国画、西洋画、水彩画
ハ. 展示期間:天基3年天暦1月1日~7日(陽暦 1月23日~29日)7日間
ニ. 展示場所:天福宮(統一教 世界本部)特別展示室
ホ. 出展資格
1) 各大陸の中高生及び大学生
ヘ. 作品内容
1) 「七死復活八段完成(七転八起)」を主題にしたご父母様の生涯路程
2) 国内外で公開発表されていない作品
ト. 作品規格
1) 平面-30号以内(額縁含め横120cm以内-ガラス付着厳禁)
チ. 日本での受付及び出品方法
1) 申請書:申請書ダウンロード
2) 受付期間:2011年12月26日(月)
3) 受付場所:〒150-0046 東京都渋谷区松濤1-2-1 光言社ビル2階 伝道教育局文化部
4) 受付方法:受付場所に直接持参、または郵送(郵送の場合は最終日消印有効)
5) 出品数:1人当たり1点
6) 予備審査発表:2011年12月31日(土)予定(日本統一教会公式サイトにて発表致します)
リ. 表彰
1) 全体大賞(1名):賞状及び副賞
2) 最優秀賞(2名):各部門別賞状及び副賞
3) 優秀賞(4名):各部門別賞状及び副賞
4) 奨励賞(6名):各部門別賞状及び副賞
ヌ. その他
1) 入賞作品は天福祝祭期間中に展示予定。作品の返還は致しませんのでご了承下さい。
2) お問い合わせ:伝道教育局文化部 03-3468-6054 Email:bunka@uc-japan.org
統一教会平和奉仕ボランティア隊(UPeace)の活動へのオンライン募金を始めました。
教会員の方に限らず、UPeaceの活動を応援したいという方でしたら、どなたでも支援できます。クレジットカードや一部電子マネーにも対応しております。
UPeaceの支援活動は震災直後の3月末から始まり、今や8ヶ月目に突入しました。
今までに24回の派遣が終了し、現在、第25次の派遣チームが現地で活動しています。
今までに延べ240人ほどが活動に参加し、150軒を超えるお宅や施設で支援活動を行いました(短期の支援チームを含む)。
現地での活動はまだまだ必要とされており、来年も活動を継続していく予定です。
また、将来は支援の輪を別の地域や世界にも拡大していきたいとも考えています。
UPeaceの活動は皆さまの支援によって成り立っていますので、ぜひご支援をお願いいたします。
UPeaceのページへ
11月26日(土)新宿教会礼拝堂において、伝道教育局文化部主催「第5回聖歌隊コンクール」が開催され、熱気溢れる発表の場となりました。
このコンクールは、教会の発展と聖歌隊の育成、そして聖歌隊文化の定着を願って企画され、昨年から西日本においても開催され、今回が5回目です。聖歌隊は17組(札幌、宇都宮、浦和、青葉台、船橋中央、世田谷、八王子、大宮、新潟、横浜、渋谷、川崎、武蔵野、相模原、大泉、竹の塚、千葉西)がエントリーし、どのチームも個性豊かな素晴らしい発表となりました。また、過去4回連続優勝の「West Youth Choir」はゲスト出演として演奏しました。
審査は、ハーモニー、美声、表現力、一体感、声量などの音楽性のみならず、事前に報告された日頃の礼拝貢献度も審査されました。それぞれの聖歌隊が、課題曲である天一国国歌「栄光の賜物」を無伴奏で、そして自由曲を発表。厳選な審査の結果、第1位は新潟教区新潟教会の「Pure Hearts」(自由曲:主の日)、第2位は南東京教区渋谷教会の「渋谷グリーンハーモニー」(自由曲:讃美歌75番「ものみなこぞりて」)、第3位は南東京教区世田谷教会の「天青星(シリウス)」(自由曲:聖歌28番「わが身の十字架」)、そして奨励賞として西北東京教区大泉教会の「大いなる泉」(自由曲:聖フランシスコの「平和のための祈り」)が選ばれました。
審査結果
第1位 Pure Hearts(新潟)
第2位 渋谷グリーンハーモニー(渋谷)
第3位 天青星(シリウス)(世田谷)
奨励賞 大いなる泉(大泉)
今後、更に聖歌隊文化が拡大し、伝道の運勢と共に教会がより大きく発展し、開かれた礼拝作りに寄与することを目指しています。全国では各地区での合同讃美礼拝も展開され、更なる発展がなされています。聖歌隊の歌声が全国の教会に響きわたり、神霊に満たされた礼拝となるよう取り組んで行く予定です。
日本統一教会第5代会長を務められた櫻井設雄先生(43双祝福家庭、トルコ国家メシヤ)の「聖和式」が11月23日午前、梶栗玄太郎会長の主礼のもと東京・渋谷の教会本部礼拝堂で行われ、ご家族・ご親族のほか、先輩家庭や櫻井先生とゆかりのある人々など約400人が集まりました。
櫻井先生は1966年3月に統一教会に入教し、69年に43家庭の祝福を受けられました。95年6 月~96年6月は、日本統一教会会長を務められました。ここ数年は病気療養を続けておられましたが、11月20日午後10時48分、都内の病院で「聖和」されました。享年72歳でした。
櫻井先生の聖和を受け、文鮮明師は「祝 親君王拝 櫻井設雄入国」との揮毫を贈られています。
聖和式は、堀信義先生(43家庭)の代表報告祈祷の後、櫻井先生のこれまでの歩みを紹介するビデオが上映されました。
続いて、宋榮渉・全国祝福家庭総連合会総会長と梁昌植・北米大陸会長(トルコ分棒王)の特別メッセージを、それぞれ藤原秀敏総務局長と大塚克己元会長が代読しました。
その中で、宋総会長は櫻井先生に対し、「(霊界で)数多くの先輩家庭や先に逝かれた日本の祝福家庭食口たちと今後の日本の行くべき道を相談され、積極的に協助する守護神となってください。日本の行くべき道を導く力をお貸しください」と訴えました。
また、梁会長は「神様の祖国安着を迎えるこれからは、真の父母様の勝利圏で天国に行く祝福家庭は『昇華式』ではなく『聖和式』をするようにとの天からの指示があった」ことを紹介。「使命を果たして行かれる聖和への道は、悲しみよりも大きな宴をもってお祝いしなければならない、という真の父母様のみ言どおり、嬉しい心で出発なさってください」と述べました。
引き続き、主礼の梶栗会長が「聖和の辞」を述べ、「人は死ぬ時にその人の価値が表れると言いますが、櫻井先生の偉大さは、これほど多くの人々が聖和式に集まってきたことからも分かります。天寿を全うされ、永遠の霊界に行かれる櫻井先生の聖和式に参加することができたことを幸せに思います」と語りました。
「送辞」では、徳野英治・東北大陸会長が、櫻井先生の純粋に主を慕う心情に多くの人が感化されたことを紹介。
また、長男の櫻井正上・祝福教育部長と孫娘の沙礼華(さやか)さんから心のこもったメッセージが贈られ、参加者の涙と微笑みを誘いました。
献花と主礼による祝祷に続いて、最後に櫻井節子夫人が家族を代表してあいさつ。「文先生にいかに似ていくかが夫の日々の歩みのテーマでした。文生生は万民の父母として歩まれていますが、夫は『せめて自分は万民の兄弟、兄になろう』と考えていたと思います。そのような愛を基調とした生活は、共に暮らす者にとっては非常に満足を覚え、喜びを感じさせるものでした。私は本当に幸せな妻でした」と述べ、櫻井先生を偲びました。
聖和式の閉会後、櫻井先生とご家族を乗せた車は、大勢の参列者に見守られながら群馬県片品村の尾瀬霊園へと出発していきました。
一心病院に入院されておられました櫻井 設雄先生が、11 月20 日午後10 時48 分、病気のため聖和されました。享年72 歳でした。
櫻井 設雄先生は、1969 年に43 家庭の祝福を受けられ、日本統一教会の第5 代会長(1995 年6 月7 日~1996 年6 月26 日)として務められました。
なお、櫻井先生の生年月日は陽暦:1939 年10 月25 日ですが、聖和された日が,天暦で10 月25日でした。生前の精誠とご苦労に心から感謝し、御冥福をお祈りします。
10月19日、松濤本部礼拝堂において「3万双家庭会総会」が開催されました。3万双家庭会より以下のようにご挨拶申し上げます。
全国でインターネット中継も行う中、宋榮渉全国祝福家庭総連合会総会長のご支援のもと、全国の支部長・副支部長また家庭会の皆様のご協力と先輩家庭の皆様の陰に陽に賜ったご助力、公職者の皆様のご協助の結果と感謝いたします。
1992 年8 月25 日、3 万双の祝福を受けてから、来年で20 年となり、天の前には成人式を迎えるような時が経ちました。文鮮明ご夫妻は、6500 双までを縦的に祝福してくださり、天の祝福が横的に広がるよう、国際的家庭として3 万双を祝福してくださいました。溢れんばかりの恵みが、神様と文鮮明ご夫妻と共にあったこの20年の歩みに感動と喜び、そして感謝の念に耐えません。
※3万双家庭会に関する詳しい内容は、最寄りの教会にお問い合わせください。
11月8日(火)午後1時半から東京地方裁判所において、ストーカー規制法違反容疑で起訴された宇佐美隆氏(43)の第10回公判が行われました。
第10回公判の詳細はこちら。
ここでは、宇佐美氏の最終意見陳述の全文を掲載します。
なお、宇佐美氏の元婚約者であり、ストーカー被害を訴えた女性の名前は、原文では実名表記となっていますが、文中では「Aさん」に変えています。
◆ ◆ ◆
私はAさんのことを本当に心配して探していました。私たちは、入籍はまだでしたが、結婚式もしてましたし、その後のお互いの経過から、心は既に一緒になっていました。
しかし、そのような大事な片割れが結婚の挨拶に親元へ一緒に行ったまま、その日に消えてしまいました。もし私たちが、自然な流れで仲が悪くなっていたなら、ある日、連絡が取れなくなっても、それほど深刻に気を留めることもなかったでしょう。しかし、そうではなかったのです。結婚の報告を兼ねて挨拶をしようとした日にいなくなったのです。
私は、このように相手が消えた体験は2度目でした。過去数十年も続いてきた典型的な統一教会信者への強制改宗の為の拉致監禁だったのです。教会への悪い風評を利用して、親の子供に対する愛情を逆手に利用して、あたかも信者になった息子娘たちが犯罪行為を行っているかの妄想や錯覚をさせ、恐怖感と不安を抱かせて、それを成長させ、最後に拉致監禁へと向かわせる事を良く知っていました。また強制説得を企画する人たちの動機が、親子の問題を真に解決するのではなく、ただ強制改宗して多額な報酬を得ることを目的としており、そのためには手段を選ばず人権をも蹂躙する事も知っていました。そして彼らが、そのシステムを永続的に維持する為に、常に風評を作り、流し、固め上げてきた事実を目の当たりにしてきました。
だから、私は、親の不安に付け込む似非偽善のたかりを、許せなかったし、素朴に信じてきた信仰を、無理やり脱線させ、PTSDをわずらうほどの、心を傷つけられた人々を見たとき、強制改宗を行う、心無い者達を絶対許せない気持ちになりました。
本来であれば、親子間での真摯な話し合いで十分心を通じ合わせることができるのに、息子、娘を取り戻すのには拉致して隔離し説得するしかないと言い切っているのです。これらの拉致監禁の過去を知れば知るほど、二次的被害者でもある私は反対派に対するひどいやり方に怒りを感じ、私たちに起こった苦難の真実を突き止めたいと思いました。そしてAさんの意思が、はっきり判るまではあきらめないことを決意しました。
また、これほどの執拗に繰り返される理由は我々にも原因があり、本気で助けに行かないから、馬鹿にされていたのではないかと考えたからです。
現在の立場に関係なく、私と同じ環境におかれたら皆さんは、どうしますか? また北朝鮮に拉致された家族を持つ人たちに無条件にあきらめなさいと言えますか?
仮に、もし拉致されて、北朝鮮に連れて行かれた、家族や婚約者から「私は幸せにやってます。心配しないで、私のことは忘れて下さい。探さないで下さい」と手紙が来たら、心からそれをメッセージとして受け取れますか? 信じる事ができますか? 愛する家族が行方不明になったらありとあらゆる手段を講じて探すのが万人の心ではないでしょうか?
もしAさんが、私に対して、何の気持ちもなく、むしろ私に探されることが嫌だと思っていたのであれば、なぜ、もっと早く、直接、私に教えてくれなかったのでしょうか? 私のメールアドレスや住所、電話番号は以前と同じです。私はAさんがいつでも連絡が取れるようにしていました。なのに、なぜ、Aさんは、自分の意思や気持ちを、電話やメールで、はっきりと、私に伝えなかったのでしょうか?
また、Aさんが、私に、そのことをはっきりと伝えてくれていれば、私は、理解できましたし、わざわざGPSを使ってまで、Aさんを探す必要もありませんでした。GPS付携帯電話は、もしものときに、犯罪を未然に防いだり、迷子の子供を捜すことのできる普通の道具なのです。背景と目的を見て判断して欲しいと思います。
携帯を電車の中で使えば、いやな顔されるか、注意され怒られます。しかし、誰かが倒れ意識不明だったり、喧嘩が起こっているのを見て、何とかしたい思いから電話で助けを求める人を見て、ルールだから車内で電話をするなと文句を言う人はいないと思います。私は傷ついているかもしれないAさんを少しでも早く解放してあげたかったのです。本当に必要なとき使用できないとしたら、何の役に立つテクノロジーになるのでしょうか? それを使わなかったことでAさんの被害が大きくなるかもしれません。またそうなれば、どれだけ悔しいでしょうか。
私が、公訴事実1の車を見る行為が、どうして、Aさんに対する恋愛感情を充足させることを目的とした待ち伏せ行為とされるのか、全く理解できません。中に誰が乗っているかも分からないし、Aさんの姿も見ていないのに、また仮に、Aさんを発見したところで、そんなことでいったい何が充足されるのでしょうか? これは、公訴事実2から4の件でも同様に言えることです。
公訴事実5のときも、私が、わざわざ宮村さんや支援者が一緒にいるサウナまで行って、Aさんを見ることで、なぜ、恋愛感情の充足目的があったとされなければならないのでしょうか? また、受付付近で、Aさんに話しかけたときも、私は、Aさんに復縁を迫ったり、結婚しようといった言葉は一切言ってません。これでどうやって、恋愛感情が充足されるのでしょうか?
私は今回このように、不当な言いがかりと、ぞんざいな扱いを受けたことに、憤りを感じています。しかしながらAさんに対しては、気の毒だと思っています。それは周りが作り仕立てたAさんであるからです。Aさんは、本当は心優しい人でしたが、今は、恐ろしい人になってしまいました。
Aさんが社会復帰できず未だに実家にも戻っていないのは、Aさん自身で招いたことではなく、周りによって固められた事実で、不幸な人生を他人のせいにすることで、逃れることしかできない辛い状況であり、今のAさんが、心のバランスをかろうじて保つために、なんとか生きる為の仕方のない精神状態なのだと思います。
今回、私が起こした一連の行動は、今まで何度も申し上げたとおり、Aさんから、直接、話を聞いて、本心を確認したいという理由から出たもので、私自身の自己中心的な恋愛感情などを満たすために行ったことではありません。
ただ、結果として、Aさんが、強制改宗により、どこかの時点で意識と立場が変わり、私の行動で不安を感じたりしたのであれば、その点は気の毒なことをしたと思いますが、私は、Aさんが、私と幸せな家庭を築きたいと言った事をはっきり覚えており、その一点を信じ続けてきた結果であったということだけは理解して欲しいです。
Aさんは、十分対話することが可能であったのに、争うことしか解決の道がないと仕向けられました。拉致監禁、強制改宗を行いながら、拉致監禁は存在しないと主張する人間に、破壊され作り変えられてしまったことが、本当に残念でなりません。
Aさんが持っていた誠実さや優しさなどの、人として大切なものを捨てさせてまでして、いったい何が残るのでしょうか? 今本当に幸せなのでしょうか? 私が今後Aさんと関わりを持つことはありませんが、Aさんには、目を覚まし自我を取り戻し、一日も早く自立して、自然で前向きに人生を歩んで欲しいと願うばかりです。そして早くご両親と一つの家族に戻って幸せになって欲しいと思います。
11月8日(火)午後1時半から東京地方裁判所において、ストーカー規制法違反容疑で起訴された宇佐美隆氏(43)の第10回公判が行われました。
今回は、検察からの論告・求刑、弁護側と宇佐美氏からの最後の意見陳述が行われました。
検察は論告で、これまでの事実関係から宇佐美氏が犯行に及んだのは、女性への未練が発端であり、恋愛感情の充足が目的であったことを強調しました。
5つの公訴事実に対して、「待ち伏せしたものと認められる」とし、宇佐美氏の犯行動機は自己中心的で身勝手であり、犯行態度は執拗で悪質、女性や女性の母親にも精神的な苦痛を与えたことなどを理由に、“懲役3ヶ月”を求刑しました。
一方、弁護人側は意見陳述で、5つの公訴事実について、女性が来る場所を宇佐美氏が予測して待機していた訳ではないことから、「待ち伏せには該当しない」と主張しました。
また、宇佐美氏は、突然行方不明になった婚約者の本心を直接確認するために婚約者を捜索したのであって、ストーカー規制法を適用すべきではないと訴えました。
弁護人側は女性からの婚約破棄の通知が宇佐美氏に到達していなかった事実にも触れ、女性に「偽装脱会」の疑いがあったことなどからも、宇佐美氏の認識では、女性は“かつての婚約者”ではなく“婚約者”であったことを主張しました。
また、女性が自らの気持ちを直接的に宇佐美氏に伝えなかったことを問題視し、2010年11月に宇佐美氏が女性の意志を確認して以降、二度と女性の前に姿を見せなかったにも関わらず、女性が宇佐美氏を告訴したことに対して、「告訴権の乱用である」と厳しく指摘しました。
宇佐美氏は恋愛感情の充足が目的ではなく、待ち伏せもしていないという事実から弁護人側は、「無罪判決にするべきである」と主張しました。
最後に証言台に立った宇佐美氏は、10分ほど意見陳述を行いました。
「女性のことを本当に心配していた。(私達の)心は既に一緒になっていた」と語り始めた宇佐美氏は、冒頭から涙ぐみ、女性の両親に結婚を報告する日に女性が突然行方不明になってしまったこと、統一教会信徒に対する「典型的な拉致監禁」が女性の身にも起こったことを回顧しました。
「拉致監禁」による強制改宗の目的や拉致監禁下での信徒に対する人権蹂躙などについても触れ、強制改宗に関わる者たちは「許せない」と怒りをにじませ、「(統一教会信徒に対する)苦難の真実を突き止めたい」という当時の決意も伺わせました。
「愛する家族が拉致監禁されれば探すのは当然である」とし、「私と同じ立場ならどう考えますか?」と問い掛けながら、GPS付き携帯電話の使用に関して、「背景と目的をもって判断して欲しい」と訴え、「拉致監禁」によって傷ついているかもしれない婚約者を助けたいがためにGPSという「テクノロジー」を敢えて使用したと説明しました。
また、婚約者だった女性に対して、「(婚約者から)直接話を聞きたかっただけ」であり、「私と結婚したいという(以前の婚約者の気持ち)その一点を信じていた」と心情を吐露。
「女性のことは気の毒だと思う。(「拉致監禁」によって失われた)自我を取り戻し、幸せになって欲しい」と、最後は女性のことを案じる発言もありました。
判決言い渡しは、12月27日(火)午後2時半から、今回同様531号法廷で行われます。
なお当日の傍聴は今回同様、抽選になる可能性がありますので、東京地方裁判所の裁判所傍聴券交付情報をご確認下さい。
この事件の真相と教団の見解については、当サイトに掲載の『宇佐美隆さんの事件に関する見解』をご覧下さい。
・宇佐美隆さんの最終意見陳述全文
・宇佐美隆さんの第9回公判
「週刊文春」と出版元の文藝春秋社(東京・紀尾井町)に対する抗議行動が11月7日(月)正午過ぎから同社周辺で行われ、約30人の統一教会員が参加しました。
9月5日から始まった抗議行動も今回でちょうど40回を数え、文藝春秋社前での抗議行動は、これでいったん終了となります。
「週刊文春」に対する今後の取り組みなどについては、当サイトでまたお伝えしていきます。
・これまでの「週刊文春」に対する抗議内容一覧
10月3日に日本統一教会創立52周年記念式典が開催されました。
このたび、記念式典で上映された「日本統一教会創立52周年 -改革と復興の2011年-」と題する映像を公開しましたので、是非、ご覧になってみてください。
「持続的改善」をテーマに、この一年間の多岐にわたる活動が約13分にまとめられています。
10月17日から19日までの3日間、アメリカ・ニュージャージー州にあるアトランティックシティーのホテルで「原理本体論修練会」(主催・米国統一教会、米国聖職者会議)が開催されました。
ここには、9月に訪韓した172名の米国聖職者をはじめ600名以上の聖職者らが参加し、「真の父母」である文鮮明師ご夫妻の教えを学びました。
この映像は、修練会の様子や参加した聖職者の感想を4分に編集したものです。
10月26日(水)、渋谷の松濤本部で「全国祝福家庭総連合会2011年度総会」が開催され、各家庭会の代表ほか、150人が集いました。
初めに、梶栗玄太郎・日本統一教会会長が「正々堂々と祝福家庭が結束し、真の父母様を中心として一糸乱れず大行進しましょう」と参加者を激励しました。
続いて小山田秀生分捧王は、「韓国と日本を守るために全力を尽くされている真の父母様と國進様と一つとなり、一丸となって進むべき時である」と強調しました。
各家庭会ではまず、430家庭の宋榮涉総会長と久保木哲子先生が紹介されました。43双では、周藤健副会長が「日本の現実的な出発点である43双は、後に続く家庭の基準を立てるべく全力を尽くします」と決意を披露。
777双は、山岡建雄副会長が、235組が日本人であり、39人が昇華したことを報告。また、祝福40周年を迎えた昨年から本格的に活動を始め、毎月一回は集会を持っていることを紹介しました。
1800双は、笹田俊明会長が、家庭会報を毎年発行し、二世たちの祝福サポートの活動を毎月行っていることを報告しました。
6000双は、大塚克己元日本統一教会会長が挨拶に立ち、現在まで4回の家庭会と、14回の婦人会セミナーを開いたことを紹介。日本の使命を果たす核となっていくと決意を述べました。
「先輩家庭の精誠と開拓精神を相続して、神様を喜ばすことのできる家庭会になります」(6500家庭会・盧鈗化副会長)
「日本に所属している約15000家庭を天が願う方向に導いていけるようにします」(30000双・安榮燮会長)
二世の祝福家庭を代表して梶栗正義・室長が挨拶し、現在二世の祝福家庭は1000組余りになり、今も増え続けていることを紹介。
最後に宋榮涉総会長が登壇、「祝福家庭は、人類の中で最高のブランドであり、霊界に行けば偉大な立場に立つ」と述べました。
また、私たち一家庭の子孫が200年後には1500人にもなり、その子孫は現在の私たちの夫婦生活、家庭生活の影響を受けるため、一瞬一瞬が深刻であることを強調しました。
天暦10月3日(陽暦:10月29日)に、第52回真の子女の日及び第24回天宙統一国開天日の行事が天正宮博物館で挙行されました。当日は文鮮明ご夫妻をはじめ、そのご家族や国内外の指導者、教会員など約2,000人が行事に参加しました。
文亨進世界会長は報告祈祷を通じて、真の子女の日と天宙統一国開天日の宣布の意味を振り返り、神様が太初から真の愛の真の対象として待ってこられた方が真のご父母様であることを強調しました。
引き続き文鮮明ご夫妻は拍手と祝歌に合わせて記念のケーキカットをしました。その後、聖餐、大邱教会合唱団の祝歌があり、み言訓読と続きました。訓読は1968年10月1日第9回真の子女の日のみ言の要約でした。
その後、花束贈呈があり、続いて文鮮明師のスピーチとなりました。スピーチでは国に侍る「忠臣」の重要性を語られ、神様と共に一つの世界を完結すべき宿題が残っていることを強調されました。そして神様に侍って生活できる天国の基台になるよう祝福されました。
最後に億万歳三唱があり、この日の行事が締めくくられました。