日本統一教会第13代会長に徳野英治氏が就任

2012年12月29日

 天暦11月15日(陽暦12月27日)、役員会で徳野英治氏が第13代日本統一教会会長として選任されたことを受けて、天暦11月17日(陽暦12月29日)午前10時から教会本部の礼拝堂において、「日本統一教会 徳野英治・第13代会長就任式」が行われました。

 

 藤原秀敏総務局長の司会で始まった同式典は、周藤健・日本統一教会副会長の代表報告祈祷の後、宋ヨンソプ・全国祝福家庭総連合会総会長が「2012年は多事多難な時でありました」と文鮮明師梶栗玄太郎・日本統一教会会長の聖和を振り返りながら、「日本は今からが重要です。皆様、徳野英治新会長を中心に力を合わせ、『基元節』勝利に向けて死生決断、全力投球しましょう」と歓迎のメッセージを語りました。

 

 徳野会長ご夫妻に花束が贈呈された後、大塚克己・アフリカ大陸会長等からの祝電が披露され、徳野会長の略歴が紹介されました。

 

 徳野英治会長は、1971年に統一教会に入教。富山大学経済学部を卒業後、統一教会友好団体の「CARP」(全国大学連合原理研究会)の責任者などを歴任し、95年に日本CARP会長に就任。2000年には日本統一教会副会長、2001年から米国・統一神学大学院に留学、宗教教育学修士取得。2005年から西アフリカ、アフリカ大陸の責任者。2008年5月に第11代日本統一教会会長に就任。2009年7月に会長辞任後、東北大陸などの責任者を歴任しました。

 

 徳野会長の就任の辞では、最初に「梶栗会長の犠牲と苦労、偉大さに敬服致します」と梶栗会長を称賛し、全体に感謝の拍手を促しました。

 

 続けて、「私たちは、真の父母様(文鮮明師ご夫妻)を信仰の中心に据えていかなければいけません」と訴え、文鮮明師の危篤時のエピソードにも触れながら、「これからは、真のお父様(文鮮明師)と一体となっておられる真のお母様(韓鶴子総裁)の心情と一つになることが重要だと痛感しました」と涙をにじませる場面もありました。

 

 これからの具体的なビジョンとして、①(日本統一教会会長として)建設的、発展的な渉外活動の本格化 ②教会本部の建設 ③祝福候補者の増加推進 ④コンプライアンス ⑤韓日一体化のための韓国語習得の奨励 などを挙げ、「社会的模範を示し、国家に絶対に迷惑を掛けてはいけません」と強調しながら、「母国・日本の使命をまっとうしたい」と強い決意を示しました。

 

 続いて、古田元男・国際宣教協会共同会長が歓迎の意を表し、「徳野会長の決意を聞いて、大変嬉しく、希望に感じます」と述べました。

 

 最後に宋総会長が祝祷、五十嵐政彦・第3地区長のリードで万歳三唱、全体で記念撮影をして閉会となりました。

 

 

 

 

梶栗玄太郎会長を偲んで(4) 

大塚克己・元日本統一教会会長

 

 梶栗会長が3年間(1996~99年)、ブラジル・ジャルジンで過ごされた時のことです。ジャルジンの町に小さな家を借りて住んでいらっしゃいました。あまりにも小さなお住まいだったので、行ってみて驚いた程です。

 

 当時、梶栗会長ご夫妻はとても質素な生活をしながらも、それを全く苦にせず、色々なことをコツコツやっておられたのがとても印象的です。

 

 梶栗会長は、洗濯もまともにできないような貧しい暮らしだったとしても、惨めさというものは微塵もありませんでした。ただ一つ、み旨の中でそのような歩みをしていることに誇りと喜びを感じてやっておられる姿が今も忘れられません。

 

 土というものはどこにあっても同じ土です。高いところにあっても低いところにあっても土は土であるように、日本でトップを経験していたとしても、ジャルジンというある意味でどん底の境遇にあったとしても、姿勢が全く変わらない。そういう変わらない姿勢で謙虚に生きておられる姿に、私は深い感銘を受けました。

 

 また、梶栗会長は何か必ずご自分で目標を見つけられました。パラグアイのレダにいらっしゃった時は、炭焼きを始められました。炭をつくるための窯をつくり、木を集めて焼いておられました。

 

 レダからジャルジンに移って来られた時は、木を植えるために小さな植木鉢を買ってきて、種をまいて育て始めたりされました。

 

 「豆腐を作りたい」ということで、私たちが頼まれて“にがり”を持っていったこともあります。「ひと袋でいい」と言われていたのに、山のように持って行った思い出があります。

 

 理想を大きく持ちつつ、とにかく小さなところから一つ一つきちんと始める。梶栗会長はそのような方でした。(談)

 

 

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梶栗玄太郎・日本統一教会会長の聖和式を挙行

梶栗玄太郎・日本統一教会会長の帰歓式を挙行

梶栗玄太郎・日本統一教会会長が聖和

梶栗玄太郎・日本統一教会会長の聖和式を挙行

2012年12月28日

 天暦11月16日(陽暦12月28日)午前8時半から教会本部の礼拝堂において、梶栗玄太郎・日本統一教会会長の聖和式が行われ、インターネット中継を通じて全国の教会員らも参加しました。

 

 藤原秀敏総務局長の司会で始まった式典は、主礼の宋ヨンソプ・全国祝福家庭総連合会総会長によるローソク点火、全体で聖歌を讃美した後、古田元男・国際宣教協会共同会長の代表報告祈祷、梶栗会長の略歴が紹介されました。

 

 このたび、梶栗会長には、韓鶴子総裁と文亨進世界会長からそれぞれ『忠臣奉天』、『天永武士』という揮毫が与えられています。

 

 来賓紹介では、文國進・韓国統一教維持財団理事長をはじめ韓国・統一教の責任者らや文信淑様家庭が紹介された後、西東京教区の中高生聖歌隊による送歌、梶栗会長を偲ぶビデオが上映されました。

 

 特別メッセージで文國進理事長は、教会の改革を推進し、教会員の人権と尊厳性のために闘った梶栗会長に対して、「私たちは梶栗会長を永遠に英雄として記憶するでしょう」と称賛しました。

 

 梶栗会長ご夫妻に特別功労牌が授与された後、主礼から聖和の辞が述べられ、宋総会長は涙を流しながら、日本を共産主義などから守った梶栗会長の業績を称えました。

 

 続いて、送辞を3名が述べ、まず最初に朴普煕・韓国文化財団総裁は、「たくましい梶栗会長の姿が忘れられない」と二人の友情について証しました。

 

 次に小山田秀生分捧王は、涙ながらに梶栗会長との思い出を語りながら、「(梶栗会長は)物事の本質を的確に捉える洞察力を持っていた」「頼りがいのある兄さんの中の兄さんです」と述べました。

 

 横井捷子さん(43双)は、梶栗会長を「我がないかた」と評し、「まさしく会長は、天の侍でした!」と力強く訴えました。

 

 続いて、多数の電報が披露され、全体で献花。聖歌を讃美し、主礼の宋総会長が祝祷しました。

 

 最後に家族を代表して長男の梶栗正義氏が挨拶し、梶栗会長を支えた全てのかたに感謝を伝えながら、病と闘う中を夫婦二人でみ旨に邁進してきた両親に対し、「そんな両親が(私たちの)家族の『メシヤ』であったと証言致します」と、参列者らに深い感動を与え、締めくくりました。

 

 聖和式の閉会後、親族や参列者らは梶栗会長との別れを惜しみ、柩に花を入れるなどした後、「原殿式」のため群馬県片品村の尾瀬霊園に向かう梶栗会長のご遺体を見送りました。

 

 

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梶栗玄太郎・日本統一教会会長の帰歓式を挙行

梶栗玄太郎・日本統一教会会長が聖和

天宙平和士官学校の募集期間が延長されました

先日お知らせした「天宙平和士官学校」第一期生の募集期間が、以下のように延長されました。

 

 旧)募集期間:2012年12月17日~2012年12月27日(木)

        ↓

 新)募集期間:2012年12月17日~2013年1月6日(日)

 

「行きたかったけど、書類の準備が間に合わなかった」という方は、ぜひ今からでも間に合いますので、書類を準備してご応募ください。

 

応募方法等のお問い合わせは所属教会までお願いします。

梶栗玄太郎会長を偲んで(3)

 以下は、前機関誌『ファミリー』1984年12月号に掲載された梶栗玄太郎会長の特別寄稿を要約したものです。

 

40日断食の感想」(要約)

 

断食のきっかけ

  1984年5月末に訪米したとき、ワシントンの「宗教の自由の日の大会」で、牧師たちが1週間、文鮮明師と共に牢屋に入ると宣誓をしたことが報告された。そのとき、キリスト教がこれ程決意しているのに、私たち統一教会は何をなすべきか、決死的なことをしなければならないと考えた。

 そのとき既に、もし文先生が収監されたら、40日断食をやろうと肚(はら)を決めていた。

 

 日本に帰ってしばらくして、井口康雄君が21日断食を始め、周囲の人が心配して止めさせてほしいと言うので、私が「21日より意義のある40日をやったらどうか」と勧めたところ、彼は収監日から40日を決意した。

 若い人に勧めておいて先輩が楽をしては申し訳ない。命ずるには、先ず自分自身が肚を決めておく必要があるので、収監の際は消極的方法だが40日断食をしようと思った。

 そこで、同年7月21日午前零時を期し、祈祷の中で天に誓って、井口君と共に始めたのである。目的は文先生救援のためである。

 

 40日断食は未経験である。経験は7日断食しかない。7日断食の時はまだ若く、決死的であったが、頬はこけ、悪寒がし、肌の色は暗くなり見る影もなく寝てばかりいた。ところが、今回は若くなく、自分自身でやれるのはせいぜい3~4日であろう。

 

 断食は1日1キロやせると言われる。この計算だと、現在76キロだから36キロになってしまう。果たして36キロで生きておられるだろうかとか、40日の途上でしぼんでのたれ死ぬかもしれないなど、心境は穏やかではなかった。

 しかし、モーセやイエス様は40日やって死なれなかったし、生と死の問題は天に任せる以外にないと考えると非常に楽になった。

 

40日断食に突入

  私は黙々として静かに断食をやることにし、誰にも知らせずに始めた。3日間は水も飲まなかった。しかし1週間も過ぎると、食事をしないので、人々の追及も厳しくなった。

 10日過ぎて、10キロやせたものの平気であった。20日過ぎて20キロ近くやせたが、別に変わったところはなく、箱根で行われた研修会に参加した。この頃になると、気持ちは良いが思考力が著しく低下。その反面、霊的感覚は敏感になってきた。

 33日目、箱根で開かれた会合に杖をついて参加。この頃はまだ急な階段を自力で上ることができた。しかし37日目、自宅までの5階の階段を自分で上れず、不覚にも背負ってもらった。

 

最後の4日間

  40日断食をやっている最中、「苦しくなったら、途中で止めた方が良い」とか、電話で「すぐ止めなさい」など心温まる忠告をもらった。その度ごとに「なにくそ」と内心で反発し、それがかえって激励の言葉になった。

 22日目頃、久保木修己会長(当時)から「日本のために頑張れ」と激励されたことも力強く感じた。

 最後が近づき36日目ともなると、誰も反対しなくなった。「もうすぐですね」と祝いの言葉ばかりだった。反対がなくなった瞬間から苦しみが始まった。

 

 最後の4日間は、前の36日間よりも辛いという印象であった。ほとんど周期的に吐き続け、断食の苦痛を味わう。寝たきりになると、起きることができなくなる。心臓も肺も弱り、体力は著しく消耗。視力は低下し、その上全身の力を出して吐いた。4日後には食べられると潜在的に意識し、胃液や胆汁が分泌してそれがたまる。下へは腸の動きが停止していて下らず、全部上から出すために、定期的に吐くのである。

 最後の4日間の苦痛がなかったならば、40日断食は簡単で、何回でもできると甘く見たに違いない。

 

 8月29日の夜12時、40日の断食がついに明けた。大勢が家に駆け付け、祝福してくれた。体重は20キロ減の56キロになっていた。皆が見守る中で、重湯一さじと野菜スープを一杯飲んだ瞬間、拍手を受けた。

 

結論

 今回の40日断食の決行は、無謀としか言いようがない非常識な行為であった。しかし、神の存在を信ずるが故にできた。人間の責任分担といえば、決意することだけであった。一旦、肚を決めた後は、神と霊界の協助を得て楽に過ごせた。あとは食べなければいいだけである。

 

 

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梶栗玄太郎・日本統一教会会長の帰歓式を挙行

梶栗玄太郎・日本統一教会会長が聖和

 

梶栗玄太郎・日本統一教会会長の帰歓式を挙行

2012年12月27日

 天暦11月15日(陽暦12月27日)午後6時から教会本部の礼拝堂において、梶栗玄太郎・日本統一教会会長の帰歓式が行われました。

 

 「帰歓式」とは、一般的な「通夜」に該当し、親族らが棺に花を差し入れ、別れの挨拶を行うなど昇天する魂に別れを告げる式です。

 

 堀展賢・43双家庭会事務局長の司会で始まった式は、主礼の周藤健・日本統一教会副会長によるローソク点火、全体で黙祷、聖歌を讃美した後、櫻井節子さんの代表報告祈祷、梶栗会長の略歴が紹介され、梶栗会長を偲ぶビデオが上映されました。

 

 続いて、宋ヨンソプ・全国祝福家庭総連合会総会長の特別メッセージを藤原秀敏総務局長が代読し、韓鶴子総裁と文亨進世界会長が下さった『忠臣奉天』、『天永武士』の解説がなされました。

 

 主礼の周藤副会長は、「なぜ真の父母様(文鮮明師ご夫妻)が(梶栗会長を)好まれたのか?」と問いかけ、「(梶栗会長には)私心がない。この一点だと思います」と語りました。

 

 次に、横井勉・愛苑会理事長と梶栗会長の「霊の親」の前川浩子さんが証しを行い、横井さんは「(梶栗会長は)全てを成し遂げ、爽やかに逝かれた」と証言。前川夫人の梶栗会長を伝道した当時の証しには、会場から笑いも起こりました。

  

 弔電、奉献歌が披露された後、全体で献花。聖歌を讃美し、周藤副会長が祝祷しました。

 

 最後に家族を代表して施主の惠李子(えりこ)夫人が挨拶し、梶栗会長の療養生活や聖和直前の様子を伝えながら、「(夫は、聖和した)真のお父様(文鮮明師)に呼ばれたと信じております」と語りながら、列席者らに感謝の言葉を述べました。

 

 2時間半近くにおよぶ帰歓式は閉会となりましたが、同日の午後10時から翌朝まで祈祷会の場が持たれ、12月28日(金)午前8時半から聖和式が行われます。

 

 

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梶栗玄太郎・日本統一教会会長が聖和

梶栗玄太郎会長のフォトギャラリーをアップしました。

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梶栗玄太郎会長を偲んで(2)

横井捷子さん(43双)

 

 梶栗玄太郎さんが、当時「下北沢」(東京都世田谷区)にあった教会本部に通って来るようになった1963年頃の青年時代の話です。梶栗さんは、小豆色のような不思議な色のスーツをいつも着ていて、とにかくスッキリした顔立ちの男性だったのをよく覚えています。

 

 ある朝、東京・八王子から電話がかかってきました。電話は梶栗さんの「霊の親」である前川浩子さんからで、梶栗さんと2人で一晩中歩いて、下北沢から八王子まで行ってしまったというのです。

 

 梶栗さんは教会で「復帰原理」の講義を聴く中で、様々な霊的な体験をされていました。例えば、「ノアの洪水」の部分では、洪水が押し寄せて来る中に自分が巻き込まれていくような場面に遭遇したのです。

 そのようにして原理講義をひととおり聴き終わり、梶栗さんが前川さんと2人で教会の外に出たところ、街の中は昼間なのに暗く、全くの灰色でゴーストタウンのように見えたそうです。通りを行き交う人々は、みんな蛇のような、死んだ人のような目をしていました。霊的に見るとそのように見えたというのです。

 

 そんな中で、梶栗さんは「前川さんに聖歌を歌ってもらうと、その場だけが清まった」と語っておられました。ちなみに、梶栗さんはその後、様々なものを霊的に見ることを意識的にやめるようにされたとのことです。

 

 一方、とても度胸がある方でした。1966年頃、当時青年部長だった梶栗さんが渋谷駅のハチ公前広場で路傍伝道(演説)をされた時のエピソードです。

 梶栗さんは「『ご通行中のみなさん』と呼び掛けると、その後は何を語るか自然に言葉が出てくる」と聞いていたけれど、『ご通行中のみなさん』と言っても何も出てこない。仕方がないので周囲を見回し、もう一度『ご通行中のみなさん』と言うと、言葉が下りてきたんだ」とおっしゃっていたのを思い出します。

 

 ある時、文鮮明先生が私たちに「日本には冒険のできる男がいないよ。それでも2人いる」と言われたことがあります。そのうちの一人が梶栗会長でした。(談)

 

 

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梶栗玄太郎会長の聖和式の開始時刻が、12月28日(金)午前8時30分からに変更になりました。

2012年12月26日

梶栗玄太郎会長の聖和式の開始時刻が、12月28日(金)午前8時30分からに変更になりました。

梶栗玄太郎会長を偲んで(1)

国際ハイウェイ財団理事長・大江益夫

 

 梶栗会長に初めてお目にかかったのは今から46年前、1966年夏期・関西地区修練会で原理講義を受けた時でした。梶栗大阪教会長(当時)の講義の中で初めて聖霊体験を味わい、松本ママからも「高校生でも教会を立てた人がいる。貴兄も頑張りなさい」と言われ京都教会に入教しました。

 

 早稲田の学生時代、大学祭で勝共研究会の発表をする時、多くのアドバイスを受けました。新宿の西口広場の群集の中で、独りマイク無しで勝共講義をされる梶栗会長の姿に感動したからです。それがご縁となり以後40年にわたるご指導を受けることになりました。

 

 その中で最もお世話になったのが国際ハイウェイ・日韓トンネルプロジェクトです。1982年の春、「君も日韓トンネルを一緒にやらないか?」と声をかけて頂き、二つ返事で承諾しました。梶栗会長は芝浦工大の土木卒で、ゼネコンの前田建設工業で現場監督をしてきた方です。口癖は、「大分県耶馬渓(やばけい)の青の洞門(300m)をたった一人で30年かけて掘り抜いた禅海和尚のように、自分はたった一人でも日韓トンネルを掘り抜く決意である!」「真剣にやれ! 冗談でやっていたら必ず事故が起きる。事故は絶対おこしてはならない!」でした。

 

 このような梶栗会長に対して、真のお父様(文鮮明師)は、「梶栗さんが日韓トンネルを掘っているから日本は滅びないよ! 先生も一人で対馬から日韓トンネルを掘る!」と聖和の直前まで語られていました。

 2012年12月26日 記

 

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梶栗玄太郎会長 12月26日午前6時10分、梶栗玄太郎・日本統一教会会長が聖和(逝去)されました(享年75)。

 

 梶栗会長の弔問は、12月27日(木)午前9時から教会本部で受け付け致します。多くの教会員のご列席を心よりお願い致します。

 

 なお、帰歓式(お通夜)は、同日午後6時から教会本部礼拝堂で行われます。

梶栗玄太郎・日本統一教会会長 帰歓式および聖和式のご案内

梶栗玄太郎会長 12月26日午前6時10分、梶栗玄太郎・日本統一教会会長が聖和(逝去)されました(享年75)。

 

 梶栗会長の帰歓式と聖和式は、東京都渋谷区の教会本部礼拝堂において、以下の日程で執り行われます。

 

 帰歓式:2012年12月27日(木)午後6時~

 

 聖和式:2012年12月28日(金)午前8時30分~

梶栗玄太郎・日本統一教会会長が聖和

梶栗玄太郎会長 梶栗玄太郎・日本統一教会会長が、2012年12月26日午前6時10分、聖和(逝去)されました。享年75でした。

 

 梶栗会長は、2009年7月13日に徳野英治・前会長が辞任したのを受けて、同年7月14日、第12代日本統一教会会長に就任されました。

 梶栗会長は就任後、日本統一教会の社会的評価や信頼を高めていくために、教会の組織強化を図り、牧会者および信徒の信仰指導、後輩育成のため尽力されました。

 

 本年3月、文鮮明師令夫人の韓鶴子総裁が来日された際には、全国巡回される韓総裁と共に、車椅子で同行され、精誠を尽くされる姿が教会員らに深い感銘を与えました。また、今秋に医者から余命4か月と宣告されましたが、首都圏等を巡回されて説教や信仰指導をされるなど、最後まで教会の組織強化、後輩の信仰育成等に尽力されました。

 

 梶栗会長は、1937年福岡県生まれ。芝浦工業大学土木工学科を卒業。1963年11月、統一教会に入教されました。その後、60年安保闘争および70年安保闘争で左翼運動が全盛期を迎えた日本を共産化から守るべく、1968年に文鮮明師の提唱によって創設された「国際勝共連合」の事務総長に1971年に就任。2010年1月には国際勝共連合会長、世界平和連合会長に就任され、各界各層に勝共国民運動推進を呼びかけて全国巡回されるなど、多大な貢献をされました。

 

 また、日韓関係の改善および北東アジアの恒久平和のために「日韓トンネル」が絶対に必要であることを訴え、日韓トンネル推進のために全国各地で講演会や啓蒙活動をされるなど尽力されました。惠李子夫人との間に4男1女。

本日12月26日午前6時10分、梶栗玄太郎・日本統一教会会長(75)が聖和(逝去)しました。

本日12月26日午前6時10分、梶栗玄太郎・日本統一教会会長(75)が聖和(逝去)しました。

札幌創成教会・若葉教会・浜田教会のホームページ開設のお知らせ

2012年12月25日

この度、新たに札幌創成教会(北海道)・若葉教会(千葉県)・浜田教会(島根県)のホームページが開設されました。

 

 世界基督教統一神霊協会(統一教会)札幌創成教会

  世界基督教統一神霊協会(統一教会)若葉教会

 世界基督教統一神霊協会(統一教会)浜田教会

 

 お近くにお住まいの教会員の方で、ブログやサイトを持っておられる方はぜひリンクの追加・更新をお願いします。

2013年度平愛奨学金の募集案内

2012年12月23日

圓母平愛財団より、平愛奨学金の支給者募集の案内が来ていますので、お知らせいたします。

 

圓母奨学財団は、天一国・平和世界の未来の人材を育成するために来年より奨学金事業をスタートします。

 

この奨学金は「圓母奨学金」「平愛奨学金」「鮮鶴奨学金」の三つから成っていますが、このうち、「平愛奨学金」は主に日本の学生を対象にしたもので、日本の学校に通う高校生・大学生(現中学3年生=新高校1年生を含む)が応募できます。

 

以下の募集要項をご確認のうえ、応募を希望される方は所属教会にお問い合わせください。

 

【2013年平愛奨学金募集要項】

■対象:日本の学生(高校・大学)250名

 

■奨学金種別と募集人数

 ①高校生(100名)

  ・成績優秀者:30名 学校成績において優秀な者

  ・活動優良者:20名 教会活動において優良な者

  ・福祉対象者:50名 上記要件に該当しつつ、特に家庭・生活に困窮する者

 ②大学生(150名)

  ・成績優秀者:30名 同上

  ・活動優良者:20名 同上

  ・福祉対象者:100名 同上

 

■書類受付期間:2012年12月24日~2013年1月18日(当日消印有効)

        2012年12月24日~2013年1月25日(当日消印有効)

        ※募集期間が延長されました

 

■応募書類・応募方法:所属教会にお問い合わせください

 

 

なお、韓国に留学している日本人学生に関しては、「圓母奨学金」の対象となります。

園母奨学金の募集に関しては、以下の圓母平愛財団のホームページをご覧ください。

http://wonmo.org/

 

(※上記ホームページから応募できるのは「圓母奨学金」のみです。日本の学校に通う学生に関しては、応募・選抜方法が異なりますので、上記ページから直接応募しないようにお願いします) 

 

天宙平和士官学校第一期生募集の案内

このたび、真のお母様の特別指示により、二世圏の指導者育成のための機関として「天宙平和士官学校(Universal Peace Academy)」が創設され、第一期生の募集が始まりました。

 

このプログラムは、「真の父母様の伝統を相続した天一国指導者の養成」をビジョンとし、二年間の大学院コースと、三年間の実践コースで構成された公職者育成のための専門教育機関です。

 

詳しくは以下のホームページをご覧ください。

http://www.upa1920.org/

 

日本からの志願者の選抜は日本教会本部が代行して行いますので、志願を希望される方は所属教会までお問い合わせください。

(※士官学校には応募書類を直接送らないようにお願いします)

 

第51次派遣支援ボランティアの活動報告(12月6日~11日)

2012年12月21日

第51次派遣支援ボランティアの活動報告(12月6日~11日)をアップしました。

第14期FE選抜修練会開催

2012年12月20日

 12月8~9日、千葉中央修練所にて第14期FE選抜修錬会が行われました。ディスカッションの様子

 FEとはField Educatorの略で、中高生の現場教育者を意味します。首都圏を中心に大阪や高知など全国各地から80名が参加しました。

 18歳の青年から54歳の父母までと、幅広い年齢層の参加者となりました。中にはご夫婦で参加されている方もいました。
FE選抜は、中高生が受験するJr.STF選抜の①原理試験、②論述試験、③体力意志力テストと同じ内容の試験で行われます。FE選抜の合格者にFE資格が認定されることになっています。

 開講式は家庭教育局の堀正一副局長より、「FEは中高生教育担当者というだけではなく、次世代の心情文化の担い手となる存在です。」と、FEの使命について講話がありました。
 1日目は、各種試験が行われ、参加者は真剣に試験に取り組んでいました。体力意志力テストの後、「娘をJr.STFに送るだけで、子どもの心を理解していなかったことが申し訳なかった。帰ったら子どもと話をしたい。」と、泣きながら感想を語られるご婦人も居られました。

 2日目は、家庭教育局の本山勝由部長による講義がありました。ドラッカーの『経営者に贈る5つの質問』から講義の様子「FEの使命と責任」について整理し、中高生教育のポイントがまとめられた内容でした。

 2日間、参加者同士活発に心情交流し、家族的雰囲気が生まれていました。
 閉講式で20歳の女性が代表で証をしました。「ようやくFEとなって中高生達を指導してあげられる喜びで、ワクワクが止まりません!」と、嬉しそうに話す姿は、教育者の持つべき本来の姿勢を感じさせる印象的なシーンでした。

≪参加者の感想≫
◆「次世代とは原点回帰であり、三世代が同居する型であると感じました。娘と共にJr.STFとして頑張ってきた若い兄弟姉妹と共に修練を受けながら、今回は二世代同居でしたが、将来は三世代で集うFE修錬会になればいい。その時は、もう一度孫と共に参加できるように頑張りたいと思いました。」 (53歳・男性)

原理試験の様子 全体写真

後藤徹氏の民事裁判、尋問日程が決まる

2012年12月19日

 12月18日(火)、東京・霞が関の東京地方裁判所で、「全国 拉致監禁・強制改宗被害者の会」の後藤徹代表が、自身に対する拉致監禁・棄教強要に関与した親族や新津福音キリスト教会の松永堡智(やすとも)牧師、職業的改宗活動家の宮村峻(たかし)氏などを相手取って起こした民事裁判の第12回口頭弁論が開かれました。

 

 今回は、原告、被告双方から提出された証拠書類の確認がなされた後、次回から5回にわたって行われる本人尋問・証人尋問の日程が決まりました(下記)。

 

 なお、次回法廷での傍聴は抽選になる予定ですので、詳しくは東京地裁の傍聴券交付情報をご確認ください(通常は、開廷時間20分前までに東京地裁玄関前の指定場所で抽選券が配布され、その場で抽選が行われます)。

 

 

日時(休廷時間含む)

法廷

被尋問者

1

2013年3月11日(月)

10時~17時

803号

後藤徹氏(原告)

2

4月8日(月)10時~17時

803号

原告側証人1名
被告側証人1名

3

5月14日(火)10時~15時

709号

後藤氏兄(被告)

4

6月3日(月)10時~17時

803号

後藤氏兄嫁(被告)、松永堡智牧師(同)

5

6月17日(月)10時~17時

803号

後藤氏妹(被告)、宮村峻氏(同)

 

 

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